青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~ジブリ もののけ姫~




1997年度に公開された宮崎駿監督作品である『もののけ姫』。日本全国で大ブームとなり、社会現象にもなった。当時小学4年生だった私は、公開してから父、母、姉の4人で映画館に見に行った思い出がある。家族4人揃って映画館で映画を観たのはこの作品しか記憶がない。したがって私にとってジブリ映画の中で最も思い入れの強い作品である。これまでにこの作品を見た回数は20回を軽く超す。それでもなお飽きることはない。

『もののけ姫』を通して監督が私たちに訴えるもの。小学生の私には全く理解が及ばず、ただ戦闘シーンが恰好よかった、気持ち悪かったなどの感想しか抱けなかった。今でこそ注意深く映画を見たり、他の作品と見比べたりすることで監督の意図が少しずつわかるようになってきたが、それでも難関複雑なのには変わりがない。
分かる範囲でテーマを挙げるとするなら四点ある。
一点目に少年少女と人間社会との関係について。
人間社会の自然破壊が原因で生まれたタタリ神によって病に侵されてしまうアシタカ。人間社会に捨てられ、もののけに育てられたサン。社会に翻弄された少年少女の不遇な運命は彼らの心を空洞化させる。
二点目に不条理な病と差別について。
アシタカやサンもそうだが、身分による差別、病による差別など数多くのシーンで差別がある。たたらばという村にはハンセン病らしき人間が多く、差別を受けてきた人間達の話がでる。
三点目に自然と人間の関係性。
互いに嫌悪し、殺し合うもののけと人間。生きるために憎悪と殺戮に走り、自然を破壊していく人間は、自然によって生かされていることを忘れてしまっている。それでも自然は人間の業すべてを許し、包み込む。
四点目に畏怖の心と合理主義の対立。
シシ神という自然のメタファーである存在に対し人間はそのシシ神殺しに没頭する。エボシはシシ神の首を銃で討ち取った。神秘的な自然現象に対し合理主義を貫こうとする人間は、いつの日か自然を科学が支配できると考え、自然を恐れなくなった今日の人間と重なるものがある。

以上四つの点を挙げたが、重要なのはそれらどの問題に対しても監督は解決策を提示していないことだ。ダイダラボッチになったシシ神は首を取り戻すと破壊行為をやめて森に消えた。エボシはシシ神殺しで腕を失ったものの生き長らえた。サンは人間との共存はできないまま、もののけとして生き続ける道を選び森に帰る。解決不可能な問題を出すだけ出し、後は観客次第という何ともスリリングな終結のさせ方である。
答えは誰にもわからない。科学に突き進む人類の未来にこれから先この問題を解決する日は来ないだろう。
分かることと言えば自然はどんなに破壊されても長い年月をかけて再生し、そして人々、特に子どもたちはどんな状況下でも必死に生きていかなければならないということだ。

3・11に東日本大震災が起きた。地震、津波と天災が起こり、原発問題という人災が起こり、風評被害などの差別が起きた。未曾有の状況の中、私たちには、私自身は何が出来るのだろうか。それは『繋がり』という環に積極的に関わっていく事、そして後世に伝え未来を『繋ぐ』ことだと思う。
人間と、自然と、森羅万象の事象に対して関わり、答えがでないことにもめげずに考える。そして何かしらのアクションを起こす。知り、考え、動く。それは生きることに直結する。
サンを救うため、どんな険しい山路も恐れず全力で走り続けるアシタカの姿が勇ましい。
そして、全てを隠さず伝えること。人間は完ぺきな生物ではないから失敗することだってある。だけど、一度起こした失敗を放置して忘れてはならない。考え、恥ずかしがらずに失敗を認め、打開策を見出していくことが筋だと思う。
現代の子どもたちはどこか今の社会に対して恨んでいるような、諦めているような、苛立ったような、そんな空気を少なからず感じる。これはアシタカ、サンの心の空洞化と似たものを感じる。
子どもたちに大人の背中を見させ、感じ取らせることが私たちの役目ではないだろうか。
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by komei115 | 2011-06-02 00:08 | Movie