青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~アントキノイノチ~

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ネタばれ注意!


つい先程、品川プリンスシアターのレイトショーにて「アントキノイノチ」を見てきた。

まず一言。色んな意味で残念。
見終わった瞬間は、監督、宣伝スタッフ、客に対する憤りすら感じてしまったほどだ。


見る前に不安を抱いていた岡田将生、榮倉奈々の演技は思いのほか上手だった。特に岡田将生は顔の表情が豊かで主人公の不安そうな目の動き、感情の起伏の激しさ、吃音をもどかしそうに言う表情、はとても繊細に表現しており感心した。他のキャストにしても同じ。
やはりフィクションであり、物語であるので、小説ではすんなり受け入れられるものであっても、映像として見るとどうしても説明口調になったり、臭いセリフが出て変な感じになってしまうのは映画の宿命であると思う。
しかしながら、役者達が言葉に「間」を持たせたり、考えて言葉を絞り出してるような表情をすることで、リアルに近づけていく。この作品ではそのことを改めて感じさせられた。
カメラの撮り方にも注目したい。固定して撮らず、まるで手持ちのホームビデオで撮っているようで、仕事現場などでは臨場感が出ていてとても良かった。

問題は作品自体の構成である。
私は、見る前から予告などを通して、小説とは全くの別モノで考えなければという思で映画に臨んだつもりだ。
だから、榮倉奈々演じるゆきちゃんが小説では居酒屋で働く娘だったのが、映画では遺品整理屋の一員としてすでに働いていることも死去した人たちのケースが所々変わっていたことにも目を瞑ることができた。だから一人の人の死を通して、柄本明が後悔するシーンには感動したりもした。
そう、この話の一番の醍醐味はそこにある。
しかし、なぜこうも話の内容を大幅に変えてまで客を泣かそうとしてしまったのか。その上、一番伝えなくてはならない遺品整理業という仕事、独居死と家族の関係性の希薄化の問題、その仕事のおかげですべての命の上に自分たちが存在し、出逢っていることに気づく主人公などがあまり描かれていなかった。
また、高校時代の出来事も、小説みたいな繋がりがなく、登場人物一人一人に感情移入することができなかった。だから、カッターナイフで殺し合おうとする永島と松井、それをあっけらかんとした表情で見守る多くの学生たちのシーンは正直「何これ?」と思って見てしまった感がある。
話に広がりがなく、主人公たちだけの視点に収束した物語。私にとっては残酷な結末による悲劇のラブストーリー、それでも前向きに生きていく主人公というチグハグな終わり方にしか映らなかった。
小説のストーリーを忠実に再現するだけでもキャストらの演技だけで十分感動できたはずである。
何故だ。
疑問詞がずっと頭の中にふわふわと漂っていた。
小説のあとがきに書かれてた監督の言葉。この人なら、きっとさだまさし氏のメッセージを汲み取って、別の作品としてでもきっと良作を作ってくれたに違いないと信じていた。
何か裏切られた気持ちがしてならない。
何故、観客はこれを観て啜り泣く音を立てられるのだろうか。
「2011年で一番泣ける映画です」と映画の予告CMで涙を流しながらインタヴューに応える観客たち。
これは陰謀か。彼らはさくらなのか。
きっと小説を読んでいないんだろうなーということは発言から察することができるのだが、そんなに感動するか?と耳を疑う作品であった。
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by komei115 | 2011-11-26 01:39 | Movie