青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~ある子ども~

ネタばれ注意!

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ベルギーの名匠と言われるダルデンヌ兄弟による作品である。
現代の大人になりきれない子供たちの日常を鋭く切り取った青春物語で、同監督の『イゴールの約束』で注目を集めた若手実力派ジェレミー・レニエと、これが映画初出演となるデボラ・フランソワの等身大の演技が光る。
現代社会に蔓延する閉塞感を描いた本作は、2005年カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞し、彼らは1999年の『ロゼッタ』にひき続き2度目の受賞という快挙を成し遂げた。
あらすじは、18歳のソニア(デボラ・フランソワ)と20歳のブリュノ(ジェレミー・レニエ)に息子が生まれる。病院から戻ったソニアが、定職につかず、盗みと怪しい商売でその日暮しをしているブリュノにまじめに働くよう頼むところから物語は始まる。(シネマトゥデイより引用)

大人になるってどういうことなんだろうなと思ったことがある。
子どもを作れば親にはなれるが、それで大人になるわけではない。
社会に出て働けば大人なのか、お金を稼げれば大人なのか、社会のマナーを守れば大人なのか。
この作品は、そういった疑問に一筋の方向性を示してくれる。
それは、愛する人のために自身を見直し、律し、変えていくことが大人への階段を上ることなのだと。
愛する人は家族でも、恋人でも、友人でも、見知らぬ通行人でもいい。また、身近であろうが、遠方であろうが、また、一人だろうが、世界中全ての人だろうが、そんなことは関係ない。
無償で人に愛を与え、また、人を知り、痛みを知ることができる人。それが大人である。

現代において、ブリュノのような人間は少なくない。
子分たちに分け前をきっちりやったり、恋人のソニアと対等な関係で付き合ったり、根は悪くない。しかし、どこか自分さえよければいいという感情でつい問題を起こしてしまう。まさに、大人になりきれない子どもである。
しかし、ブリュノのような心の貧しい人間を生み出すのは、社会の閉塞感、貧しさによる。決して他人事ではないし、彼らを見放すことなどできない。

物語の終盤、子分が警察に捕まり、自分だけ逃げ延びたブリュノ。子分のパンクしたバイクを押しながらソニアの家を目指す。その姿はまさに哀れだ。部屋の前で「ソニア」というものの、母性に目覚めたソニアはいつまでも大人になりきれない彼を見放し、ついに顔を出すことはなかった。
その時、途方もない表情を見せるブリュノはいろいろなことを考えたのではないかと思う。初めて自分のやってきたことのくだらなさ、人の痛み、自分の痛み、後悔、反省云々。そこで彼は意を決し、自首をした。供述中の子分の前で自分が首謀したと、盗んだ金をすべて尋問間に差し出した。
刑務所に入り、どのくらい経ったのかは描かれていないが、最後のシーンでソニアと刑務所の談話室みたいなところで面会をするブリュノの姿があった。ソニアに買ってもらったコーヒーを飲もうとする時、彼は泣き崩れた。ソニアも彼の手を取って一緒に泣く。
ここで物語は幕を閉じる。彼らの今後が気になるが、それでも最後の二人の涙に救われた。この先、明るい未来が待っているとは限らないが、この時点でスタート地点にった彼らには閉塞した日常から未来が開かれ、いくつもの可能性が生まれることだろう。

この作品にはサウンドトラックが一切使われていない。したがって、音楽に感情を左右されることなく、淡々と物語のみを見つめることができた。終始客観的な視点で描かれており、引き込まれて彼らの行方に目が離せない。自分自身も改めて考えさせられた作品であった。
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by komei115 | 2011-12-14 16:32 | Movie