青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~サラの鍵と灼熱の魂から見えてくるもの(2点のあとがきに代えて)~

今回の2作品、それぞれ銀座テアトルシネマとTOHOシネマズシャンテということなので、久し振りに映画のハシゴをしてしまった。一日中銀座、有楽町、日比谷をぶらついた。
それはそうと、この2作は奇跡的に似通った作品である。現在と過去、ミステリー、社会派、ヒューマンドラマ。どれも似ている。かといって、それぞれ面白さが異なり、どちらが良かったかは甲乙つけ難いところだ。
「サラの鍵」、「灼熱の魂」それぞれを見て、感じたことがある。

果たして、真実を知ることは幸せなことなのかどうか

ということだ。2作品ともに現代の主人公達は真実を受け止めきれず苦悩し、また真実を知るために過去を蒸し返すことによって様々な人々が傷つく。
日本を含め、世界の童話には「見るなの禁」の物語が数多く存在する。「見るなの禁」とは、例えば日本昔話で言うと「鶴の恩返し」が有名だろう。襖を開けないことを条件に女は機を織るのだが、翁が襖を覗いてしまったためにつるになって飛び去って行ってしまう。
時として見ない、知らない方が良いこともあるという教訓である。日光東照宮の3匹の猿、見猿(ざる)・聞か猿(ざる)・言わ猿(ざる)も子どものうちはその3つのことを守った方が良い子に育つということから描かれている。
しかし、思うのだ。子どもは別として、自分で物事を判断できるようになった人にも「見るな、知るな」のままでいいのか。表面的には知ることで悩み、また、他人をも傷つけることになるかもしれないが、それでも向き合うことが必要なのではないかと思う。
「灼熱の魂」では母が遺言によって子どもたちに自分たちの手で真実を知ってもらおうとする。二人に残した最後の手紙に「これで報復の連鎖は断ち切られた」と書かれていた。子どもたちがすべての苦しみを乗り越えることを信じ、母を知り、ルーツを知ることで自分たちが何者であるのかを知って苦しみから解放されてほしいと願う母の愛がそこにはあった。
「サラの鍵」ではアンジェラが「真実を知るには代償がいるのよ」と口にする。そして、真実を追うことで様々な人を傷つけ、自分も傷つく。しかし、彼らは真実を知るという過程において、苦しむと同時に名状しがたい贖罪感から徐々に解き放たれるのだ。すべてを包みこむ赦しがそこにはある。
真実を知ることは覚悟がいる。生半可な気持ちでは聞けないだろう。だが、何かを封印して、人に隠し続けて生きる方が本人にとって、関係する人々にとって幸せなことか、大人の対応かと言ったらそうでもない。自分自身の殻や自分に影響を与えている何らかの柵と向き合い、それらを全て赦すことが人の成長の第一歩となるのだ。
体は大人でも、心が成長していない人は多い(私もそうである)。なんとなく生きてる“今”から立ち止まって自分の無意識にある封印している何かと、そしてその真実と向き合ってみるのも良いかもしれない。
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by komei115 | 2011-12-22 04:26 | Movie