青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~ヒミズ~

ネタばれあり!

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コミックス「稲中卓球部」「シガテラ」「ワニトカゲマス」などを手掛けた古谷実氏の原作「ヒミズ」を、園子温監督が映画化した。
私は古谷実を大学時代に知ってから、上記作品はすべて読んできた。そして今回、古谷実ワールドの中でもブラック性が強い「ヒミズ」の映画化、そして監督を手掛けたのが園子温ということで前々から期待をしていた。監督の作品はこれまで2009年の「ちゃんと伝える」、2008年の「愛のむきだし」を観てきた。特に「愛のむきだし」を吉祥寺の映画館で観た時はいい思い出だ。監督に会えた、長かった、そして、ゆら帝のドラムが一瞬にして嫌いになった・・・。
私は、実は監督の作品自体はあまり好きではない。映画が長く感じるわりに、解決していない部分が多いまま終わるからしっくりこないのだ。しかし、それ以上に役者を上手く使い、演技力に関しては大変魅力的で、近年出た他の邦画を凌駕していると感じる。こんなの無理だろっという演出ををやってのける役者もすごいが、その演出を思いつき、役者の才能を引き出す監督もすごい。




それでは本題に入りたい。
私は、この作品を観て恋に落ちてしまった。一目惚れである。
相手は二階堂ふみと染谷将太だ。


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この二人の演技には終始圧倒されっぱなしで、心が震えた。染谷将太君は「ピンポン」など小さいころから映画に出ており、最近では「アントキノイノチ」に出演していたが、主役をやるとこんなにも凄いのかと驚かされた。何もかも諦めたような目、それでいてキレた時のナイフのような鋭い目は彼ならではのもので、また、行動や言動も研ぎ澄まされている。一方、二階堂ふみさんはどこか宮崎あおいを想わせるような、しかし、その瞳の目力は彼女よりも強く、ぶれない。彼女の引き込むような瞳に心を奪われた。そして、少女であるにもかかわらず、女性としての包容力がそこにはあった。全てを赦し、包んでくれる優しさは女の、母の偉大さを感じさせられたのだ。
「普通」になりたい普通じゃない少年住田と、それを支えるこちらも「普通」じゃない少女茶沢を見事に演じきった二人の演技は、「愛のむきだし」の満島ひかりをも超えたと思っている。二人とも、第68回ヴェネツィア国際映画祭で、新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞したが、納得できる程のものだった。
とにかく圧巻。一度観たら引き込まれることは間違いない。今後の二人の活動に期待し注目したい。できればテレビよりも映画で活躍していって欲しい。

映画の方は、コミック版「ヒミズ」とはかなり違ってはいるものの、古谷実ワールドを実にうまく再現できた内容だったと思う。
あらすじは、母親の経営する貸しボート屋の小屋に住み、ごく平凡な生活を送ることを夢見る中学生の住田祐一。ところが、ある日、かつて蒸発するも突如戻って来た父親からのDVと、母親が中年男と駆け落ちして失踪したことを機に、住田は天涯孤独の身となった。そして、遂に父親にキレてしまい殺してしまう。それから、何かが弾け飛んでしまった住田は、普通の人生を送ることを諦め、悪い奴、社会のゴミ、クズを殺すべく、夜の街を徘徊する生活を続ける。



映画を観た感想として、まず、主人公について述べたい。
観ていて3つの作品を想起した。

ヴィターリー・カネフスキー監督の映画「動くな、死ね、蘇れ!」

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ジャン=リュック・ゴダール監督の映画「気狂いピエロ」

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J.D.サリンジャー氏の小説「バナナフィッシュにうってつけの日」

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映画の中の主人公住田は私にとって3作品の主人公ワレルカであり、ベルモンドであり、シーモアであった。親を殺すシーン、何かが弾け、顔に絵具を塗りつけるシーン、そして自身のこめかみに拳銃を突きつけるシーン。特に、拳銃をどう使うか。「ピストルが登場した限り、その引き金は引かれなければならない」という言葉をどこかで聞いてことがあるが、引き金を引く際に、どこに銃口を向けるのかが大事である。人か、己か、それとも・・・。結局、住田はそれともを選んだが、私の眼にはシーモアにしか映らなかった。


次にテーマについて。
茶沢にもらったフランソワ・ヴィヨンの詩集を朗読する住田。
その朗読の部分が、まさに今作品のテーマである。


牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる

どんな人かは、着ているものでわかる

天気が良いか悪いかもわかる

林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる

樹脂を見れば木がわかる

皆がみな同じであれば、よくわかる

働き者か怠け者かもわかる

何だってわかる、自分のこと以外なら。

この言葉は私の耳にいつまでも残り続けた。わかった気になる恐ろしさ。知識人、常識人だと自身を過信してしまう恐ろしさ。
人間は成長するにあたり、視野が広がり、物事、世の中を知るようになっていく。その中で、人の間違った行為を非難する自分がすべて正しいと思いこむと、だんだん自分のすること全てが正義となる。自分の目に映ったダメな人間達をクズと呼ぶ。そして、人の上に立ってしまうのだ。ついには人から非難されるとそれに耐えられなくなり、暴力で排除するようになる。
作中ではこのような行為に及んでしまう人間が多く描かれている。まさに、「ヒミズ」。世間の、そして自分の姿を観ることができなくなったモグラ達である。
サリン事件、駅構内での連続通り魔事件、秋葉原事件などの正体も実はこの「ヒミズ」、人々のモグラ化にあると思う。自分が今どこに立っているかもわからない。まともな人間だと思いこんではいるが、人とは繋がれない。誰もわかってくれない。そうしているうちに無意識のうちに現実から逃げ、自分だけの世界を構築してしまう。
私の中にも、作中にでた人物、現実で犯罪を起こす人々になる危険性を孕んでいる。物事を知ることは良いことだが、常に、ソクラテスの「無知の知」を頭の中に入れておき、自分はただの一人の人間であること、人に上も下もないことを自覚しておかなければならないと改めて考えさせられた。

最後に一点。今まで、誉められる点を述べてきたが、受け入れられない点もある。
「ヒミズ」に東日本大震災を取り入れたことだ。この作品が作られている間に3.11の震災があり、園監督はあえてこの震災を急遽盛り込むことにしたらしい。賛否両論あることは自身でも解っていてのことだったと思う。
津波の爪痕が深く残る被災地の現場の映像は観ていてショックが大きい。インパクトとしては高いが、それを「ヒミズ」には入れて欲しくなかった。作中で、住田が「頑張れない人たちも大勢いいる」といったことには救われ、物語のラストで茶川と「頑張れ―!」と被災地とダブった映像の中を駆け抜けるショットには、頑張れないのはしょうがないんだけど、いつかは、自分なりに立ちあがり、前を向いて行かなければならないことを思い起こさせてくれる。しかしながら、被災した人たちにはあまりにも安っぽ過ぎるのだ。いろんなことが解決していないし(それは監督の意図なのだと思う。解決しない不条理な世の中をそれでも歩いて行かなければならないというような)、周りの登場人物が「私たちは津波で一度死んだ。もうこの先も無理だ。しかし、住田には未来があるんだよ」みたいなセリフを言って住田を助けるのだが、殺人まで犯してしまった己が言ったら説得力がなく、涙を流すことはできない。あくまでこの「ヒミズ」という作品の中だけでとどまるべきであり、それを被災地の人たちに向けたような演出は私はするべきではなかったと思う。そこだけが残念である。

映画では殴る、蹴る、刺す、撃つ、と観るに堪えない暴力が多く描かれ、大きな効果音には不安を煽られる。
しかし、この作品は是非映画館で、集中して観るべきものであり、そこから何かを感じ取ってもらえればと思う。
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by komei115 | 2012-01-15 10:21 | Movie