青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~ニーチェの馬~

ネタばれ注意

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これまでも、これからも変わらない死の宣告。知恵は我々に何をもたらしたか。そして、我々は人間として限りある生をどう生きるべきか。



「神は死んだ」の言葉で知られ、ニヒリズム、反キリスト思想によって哲学、文学に多大な影響を与えたドイツ哲学者フリードリッヒ・ニーチェ。そのニーチェが晩年、トリノの広場で泣きながら一頭の馬の首を抱き、そのまま発狂したとされる逸話がある。「この馬はどうなったのか?」という疑問に着目し物語を作り上げたのは映画界の鬼才、ハンガリーのタル・ベーラ監督。今作品は『サタンゴタンゴ』『倫敦(ロンドン)から来た男』の人気に続き、ベルリン映画祭の銀熊賞、国際批評家連盟賞を受賞している。

あらすじ
どこかの時代のどこかの田舎の荒れ地。そこに石造りの家と馬小屋、古井戸がポツンとある。そこに住んでいるのは年齢不詳の初老の農夫と、その娘。そして、馬が一頭。吹き止まぬ暴風の中での六日間の物語。

この映画は、ニーチェをわかりやすくするものではないし、ニーチェを知っているからといってわかりやすくなる映画でもない。強いて言うなら、殆ど言葉がなく、厳しい環境での人間の生活を淡々と描いている点で新藤兼人監督作品の『裸の島』にかなり近い作品だということ。しかしながら、同作品よりも無親切で、挑戦的で、単調で、退屈である。なにより、ニーチェを表すくらいに終始絶望的だ。見終わった時、人類普遍のテーマが私の喉を掻っ切り、沸々と暗澹たる不安が湧き起こった。しかしながらダイナミックな長回しと、フィルムという物質が持つ独特の美しさ、そして見えない部分まで見たくなるような緻密なカメラワークはもはや芸術の域であり、2時間34分の間、観る者を陶酔させる。
「ニーチェの馬のその後」とはいっているが、その起点がどこからかははっきりとはわからない。過去だけでなく、現代もしくは未来かもしれない。どの時代でもありえる永遠普遍の物語であり、ただ「その日」からの六日間の物語である。結論から言うと、彼らに七日目は訪れない。
暴風吹き荒れる荒廃した土地。なんらかの原因で町は破局しているみたいだ。そういった絶望的な環境で一組の親子は永劫回帰と思われる程単調で不変的な生活のリズムを送る。しかし、馬が、井戸が、ランプが次第に使えなくなってくる点で肯定的ではなく味気ない不毛な生の反復でしかない。生活できる空間はあるが、親子の目は死んでいて、表情も会話も殆どない。
ここで、人としてどう生きるのが幸せかが問われる。主人公の親子のようにその場で生活を続けるか、別の場所を求めて浮浪するか。先に述べた「裸の島」を見た時、日々の繰り返しこそが生活の原点だと思ったが、この映画を見て「知恵が人間に何をもたらすか」を考えた。この親子に知があれば、希望が湧き、未来を切り開けたかもしれない。知ることをあきらめると、人はそれ以上を求めなくなる。それ以上のことは大抵が生きる上で不要のものだが、それでも人として生きていくには知る喜び、そこから何かを生み出す喜びが必要不可欠であると思う。永劫回帰は肯定的でなければならないとニーチェは言う。そのためには生活に喜びを加えることが大切である。
これは、単なる物語ではない。私達の身にいつ起こるかわからない「その時」の絶望に備えて生き方を見つめ直すことは、決して無駄なことではないはずだ。
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by komei115 | 2012-02-26 23:26 | Movie