青い果実の実る頃には

komei115.exblog.jp

項目に分けて日々思ったこと、書きたいことを自由に書いてます。意見、批判するコメントは大歓迎です。個人的な問い合わせはこちらまで。koumeipart115@yahoo.co.jp

ブログトップ

映画から学ぶもの ~SHAME-シェイム~

ネタばれ注意!

b0215567_19214140.jpg


快楽に溺れ、愛に飢える人間の果てにあるものは絶望という名の残りカスか





『Hunger』で頭角を現したスティーヴ・マックィーン監督が描く、主人公の欲求の奥にひそむ本当の心の闇を暴き出す衝撃的な人間ドラマ。大胆なセックス描写と複雑な人物像に、セックス中毒の兄をマイケル・ファスベンダー、恋愛依存症の妹をキャリー・マリガンという二人の旬の役者が挑戦し、それぞれ見事に演じきっている。
誰しもが通る道だけに心をざわつかせられる不穏な展開が多く、緊張感漂う長回しの映像には思わずくぎ付けになる。「性」との向き合い方を改めて考えさせられる映画に仕上がっている。

あらすじ
ニューヨークの高級マンションに暮らし、才あり人望ありのビジネスマンのブランドンだが、プライベートのすべてをセックスに費やしているほどのセックス依存。ベットで、風呂場で、ホテルで、公園で、会社のトイレで欲望を剥き出しにしてはティッシュに愛をくるんで捨てるもはや中毒状態である。そんなある日、ブランドンのマンションにジャズシンガーで妹のシシーが転がりこんでくる。兄とは対照的な恋愛依存症でリストカット癖のあるシシーとの生活。正反対の性格である妹のことをよく思っていない兄は当然勝手気ままに愛に勤しむ妹の姿に心をかき乱され、激しくぶつかるようになり……。

b0215567_19241759.jpg


青いシーツに横たわる青い瞳をした男。画面最初に映し出される映像はどこか空虚で、寂しい。男はハンサムで女性からも人気なプレイボーイだが、体温は低く、熱を感じさせられない。唯一ひたむきなのはセックスをするときだけだ。しかし、特定の恋人は作らないし、結婚願望は毛頭ない。インターネットでポルノを漁り、家に売春婦やセックスフレンドを招き、街で女性と知り合ってはセックスする毎日。
『SHAME』。それは「恥」だ。それも日本的な照れではなく、道徳的恥。つまり醜態である。
人は醜態を嫌う。汚らわしいと目を背ける。その醜態のトップに君臨するのがセックス、すなわち性行動ではないだろうか。
セックスには様々な形があり、それだけ多くのフェティシズムがある。異性、同性。 S、M。年配、幼児。野外、道具、盗撮、のぞき、痴漢、ストーカー、集団、マスターベーション・・・等々。許される行為から社会的犯罪行為に及ぶまで様々な性的興奮があり、興奮を覚えるのは人それぞれであるが、人は社会において道徳、公序良俗と照らし合わせてそれらすべてを「異常」というカテゴリーに置きがちである。多かれ少なかれ、人は色んな形でセックスをするはずであるのに、自分のことを棚に上げて道徳的間違いを犯した他人の性事情の全てを汚らわしいものだと否定する。
この作品を見るにあたって、主人公の行動を汚らわしい、異常だと思う人が大半だろう。しかし、批評するにはまず自らの性癖と向き合う必要があるのではないだろうか。
私もセックスはするし、マスターベーションだってやる。自分の性格に合う女性は好きだし、それなりに顔やスタイルの好みもある。そしてなにより、主人公と同じように快楽に溺れてみたい、堕ちてみたいという衝動もないとは言えない。それを理性で包んでいる。
一見主人公と同じだが、さらに踏み込んで性と向き合い、オープンに受け止めたうえで理性でもって包んでいる。だから、堕ちることのない自分を、一人の女性を愛し愛される自分を信じることができる。
一方、主人公たち兄妹は常に愛に飢えている。身体を求めても行きずりを好み、関係を持つのは拒む兄。身体が繋がっていないと愛を感じれない妹。セックスがもはや快楽ですらない悲痛な叫びのようにも見える。それぞれが激しく衝突する場面で流れるテレビのアニメ映像は二人を心の成長していない子どもに映らせる。
愛の渇きを潤すには自分と相手を理解し、素直に求め、心から繋がることだ。その方法はセックスだけでないはずだ。家族、友人との触れ合いや繋がりも渇きを潤してくれる。
セックスが愛の延長にあっても、愛と同化させてはならない。そうすればセックスを『SHAME』ととらえて抑鬱になることも快楽に溺れ落ちることもないはずだ。
[PR]
by komei115 | 2012-03-26 21:32 | Movie