青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~セイジ ―陸の魚―~

ネタばれ注意!

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映画の詳しい情報はこちらからどうぞ
http://www.seiji-sakana.com/


自分が助けたいと思ったときに全力で助ければいい。助けられないときはどうやったって助けられないのだから



『カクト』以来、実に8年ぶりに監督を務めた俳優伊勢谷友介が辻内智貴のベストセラー小説を原作に映画化したヒューマン・ドラマ。とある山奥のドライブインを舞台とし、店長を務める謎めく男と、彼の周囲の人々に惹かれて店で働くようになった青年旅人の視点で物語は進む。触れ合いを通し、一筋縄ではいかない人と人とのかかわり合いが描かれる。深遠で普遍的なテーマ性を秘めたドラマに加え、限りなく雄大で郷愁的な自然をあますところなく切り取った美しい映像もこの作品ならではの魅力だ。

あらすじ
半ば投げやりに就職先を決め、それから自転車による一人旅に出た大学生の旅人(森山未來)。その道中に軽トラとの衝突事故に巻き込まれ、愛車が壊れる。轢いた車の主が旧道沿いにあるドライブイン「HOUSE475」に彼を送り、手当を頼む。そこで、無骨ながらも真理を突いたことを話す店主のセイジ(西島秀俊)と、店に集うユニークな客たちとの出会いを果たし、彼らに魅了された旅人はいつの間にか住み込みで働くようになる。これまでに得たことのない確かな充足を感じるとともに、よりセイジのことを知ろうとその周辺を探っていたある日、突然事件は起こった・・・。


去年の東京国際映画祭で生の伊勢谷雄介のトークと一緒に見るつもりだった作品。眠たい眼を擦りながら六本木ヒルズに朝一で並んだが、悔しくも自分の10人前くらいで完売してしまい、見る機会を失った(しかし、偶然にもその日ヒルズの通りで伊勢谷監督本人に遭遇してしまった!笑)。
それで、先日新宿にて「KOTOKO」と二本立てで観てきたのだが、先に見た同作のあまりの衝撃に全く身が入らないのではと心配していたものの、意外と見応えがあり、考えさせられる作品に集中して見ることができた。
そして、同作とは真逆で、対照的な生の物語であったも見入った理由の一つだ。しかし、対照的とは言いながら、実はこの2作品は根元で共通している。本作品をこの日に、この流れで観て良かった。

「食事は死なないため。死にたくないから働く」という旅人に対し、セイジは「食事は生命維持装置でしかない」といい、「一瞬でもいいから俺は生きたい」と願う。人より見えすぎ、知りすぎたために絶望を抱える男セイジ。人より「見える」ということは決して幸せなことでもないのかもしれない。上手く「見ない」ようにする「鈍感さ」はある意味生きることへの潤滑油だ。
「抽象的でわけが分からない」といった誹謗中傷する口コミも目立つが、わけが分らないのは彼らが「鈍感」であるが故だろう。
この作品を雲を掴むようにして見る方がいいのか、クリアにするために自分を深く溶け込ませるようにして見る方がいいのか。それは人それぞれであるが、わけが分らないのを作品のせいだけに転嫁させてしまうのでは稚拙で芸がない。
ここで、この作品を通して考えてみたいことがある。
社会の意義。環境の意義。仕事の意義。生活の意義。使命や博愛や幸せの定義。人それぞれ自身の利己をもとに考え方は異なる。それがぶつかるから、さらに問題は膨れ上がる。山のように膨れ上がり、どうしようもできない問題を前にどうするべきか。
一つ目の方法としては「見ない」で済ませる方法。自己と社会を切り離して、社会のことには口を出さず自分やその近辺の人の幸せのため、自分が死なないためだけに働き、生活する。自分のことで精いっぱい。社会がどうとか、マクロ経済、政治の視点で話されても現実的でない。これは旅人含む登場人物大半の人間だ。そして、それは現実社会を生きる私たち大半の視点でもあろう。
二つ目の方法はある部分だけを「見て」、それを信じてひた走る方法。理想を追い求めて、情熱を注ぎ、世界を自分の手で変えようと行動し、生活する。作中出てくる動物愛護団体の人々が顕著だ。彼らは「生命をもっと大事に」という信念をもって、物事を多角的に見ないままに行動する。彼らの言うことが間違っているわけではない。それも一つの正解なのだが、人に自分の考えを押し付けた時、どこか正義という名の暴力を振りかざしてるようにしか映らない。
そして三つ目の方法。現実を全て「直視」することで絶望するという方法。これはセイジである。開き直ったりも、希望を見出したりもせず、ただ全てを受け入れる。そうして彼は生きることを諦めた陸の魚になった。
この考えを持つ人間は、社会からすると一番「ダメなやつ」というレッテルを張られやすい。扱いづらく、煙たがられ、社会に同調できなかった「自己責任」のもとに放置という処遇で抹殺されることもあろう。
しかし、この視点を持てる者の存在は実は大きいのではないか。物語のキーでもあり、三つ目の方法をうまく機能させた「リツコちゃん」という女の子を見てみたい。
彼女は幸せな日常から絶望の淵へと叩き落され、全てを失った。旅人を含め、だれも彼女に感情を取り戻させることはできない。しかし、セイジの起こした一つの決断の「提示」によって救われたのだ。旅人はセイジの決断に何もできず、ただ恐れ、そこから逃れるように現実の世界へと戻っていった。そして、救ったセイジ本人は、エンドロールで普遍であり、永遠であるノスタルジーの風景の中へと消えた。いや、溶け込んだという方が正しいのかもしれない。
セイジと異なって「見える」絶望を受け止め、立ち直り、そして大人になった「リツコちゃん」の笑顔は、作中の唯一の希望であり、「見える」者たちの光となろう。
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by komei115 | 2012-04-27 22:16 | Movie