青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~ムサン日記 白い犬~ まとめ 2

昨日の分を載せられなかったので遅ればせながら今日(6/26)載せちゃいました。

ネタばれ注意!
本作を予め観ていることをお勧めする






純白の脱北青年と子犬が韓国社会に翻弄されながら必死にもがく様は、私たち日本人には心から理解することはできない。
私たちは生まれた時から日本人であって、少なくとも亡命することなく一生を日本で暮らすか海外で暮らすか自由に選ぶことができる。自分が雑種であるということは思わない。そして、生きていく中で不当な差別を受ける経験もまずないと言っていい(在日外国人、部落出身者、障がい者などの社会的マイノリティの人は除く)。
だからこそ、南北問題を抱える朝鮮半島の人々の気持ちや感情を汲み取ることは難しい。しかし、それでも生き続けるために辛い仕事に耐え、永遠と続く受難の中で常に怯えながら当てもなく生活を続ける姿は、再生を掴もうとする一人の人間の普遍の物語として映り、同時に現代社会人に蔓延している生きづらさをも切り取っている。国柄の問題としてではなく、寧ろそういう視点で観るとわかりやすいかもしれない。
主人公スンチョルが協会で、家で、よく水をがぶがぶと飲むシーンがあるが、その姿から見てとるとどうやら体の渇きだけではない。彼の心が渇いていることを意味する。人間に対する渇きだ。頼る友人もなく、捨てられた犬としか本当に心を通わせることができない彼は人と繋がりたいという渇望があるのだ。
それでも誰とも繋がらない、繋がろうとしないのは彼の内に内にと籠もってしまう性格と環境にあるのかと最初は思っていた。しかし、彼にはもっと深い心の闇が渦巻いていた。
教会での吐露(懺悔というのが正しいのかもしれない)。それは、日々の食料の調達すらままならない北での過酷な暮らしの中で、誤って友人を殺してしまったこと。自分に降り注ぐ外部環境からの受難と、そこからの自己の過ちと罪による受難。道徳性を備え、己が汚れることを望まなかった彼だからこそ二重の苦しみの中で、怒りと贖罪の狭間で常に葛藤し、孤独を受け入れていたのだ。
ここで述べておきたいことがある。この「受難」と言う言葉。これは苦難・災難であると同時に、まさに十字架に掛けられたキリストをも意味している。彼はこの生きづらさから逃れたいと願う同時に、キリストに惹かれるものがあった。どこかで自分と照らし合わせていたのではないだろうか。だからこそ、キリスト教の教会に顔を出し、入りたいという眼差しで聖歌隊を見つめ、聖書を愛読していたのだと思いたい。
青年は再生するために仲間を裏切るという道徳を犯す。そして、犬のペックととともに韓国の地で生き続けようと誓う。金を手に入れたスンチョルは夢に見ていたスーツを買い、ボサボサだった髪を切る。ゼロからのスタートだ。これで光が差し始めた・・・そう思ったが、このままでは終わらなかった。道徳性を欠いた再生の代償。ペックの死はそれを意味している。ラスト5分近くの長回しのシーンはただただ圧倒される。
こんなにも人生は辛いものなのか。代償があまりにも大きすぎやしないか。色々な考えが脳裏に浮かんでは消えていく。スンチョルのペックを見下ろす表情が何とも痛ましく絶望的で、人の強さと脆さを浮かび上がらせる、なんともいえない空気に固まるしかなかった。

映画は終始手ブレがあり、まるでドキュメンタリーかホームビデオを観ているような感覚だった。映画の撮影に気がつかなかった人も多かったらしく、登場人物の中でも映画だと思っていなかった人もいたとのこと。稚拙ともとれる映像だが、その中はとてもリアリティーに満ち、今は亡きスンチョル氏の人生そのものを観ているような感覚だった。
この視点で作品を作ったパク・ジョンボム監督の演技と脚本はずば抜けて高い。
映画「タクシードライバー」の主人公トラヴィスや「トーク・トゥ・ハー」のベニグノ、「光の方へ」のニックを忘れられない人は刮目して観たい作品だ。
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by komei115 | 2012-06-25 21:14 | Movie