青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~少年は残酷な弓を射る~

ネタばれ注意!

072.gif072.gif072.gif072.gif☆  9/10

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2012年6月30日よりTOHOシネマズシャンテを始め公開中
詳しくはhttp://shonen-yumi.com

理解できない。だからこそ恐ろしい。その少年が射貫いたものとは何か。その少年に弓を射らせたのは誰か



「ボクと空と麦畑」、「モーヴァン」のリン・ラムジー監督による家族ドラマ。イギリスの女性作家に贈られる文学賞として著名なオレンジ賞に輝く、ライオネル・シュライバーの小説を映画化した。息子がとある事件を起こしたことを機に、彼と自身との向き合い方を過去と現在から見つめ、悩み抜く母親の姿を濃厚に映し出す。「フィクサー」のティルダ・スウィントン(私にはサッカードイツ代表の若き司令塔エジルにしか見えない)が、苦悩する母親にふんするだけでなく、製作総指揮も担当。少年役のエズラ・ミラーは美少年でハマり役。これからきっと注目されるだろう。
サスペンスに圧倒。それでいて親と子の関係についても考えさせられる。

あらすじ
解放・自由を重んじ、それを満喫しながら生きてきた紀行作家のエヴァは、妊娠を機にそのキャリアを投げ打たざるを得なくなる。ある意味束縛にも似た結婚生活は彼女の中で無意識のうちに闇を落とし、それゆえに生まれてきた息子ケヴィンとの間にはすぐに溝ができ、解り合えなくなる。やがて、美少年へと成長したケヴィンだったが、不穏な言動を繰り返した果てに引き起こした事件とは・・・。


この物語は一人の母親エヴァを主人公に、主に三つの時間軸で構成されている。しかし、基本の軸となって描かれるのは彼女の破局後の人生だ。

荒れ果てた家。荒れ果てた一人暮らしの生活。たび重なる近所の人々から浴びせられる侮辱と嫌がらせ。雑務に近い仕事。それでも、彼女は何も抵抗も再生もしない。喪失感がひたすらにまとわりついている。なぜ彼女はこんなことになっているのか。一切の説明はなく、疑問を抱えたまま映画は始まる。
しかしながら圧倒されるほどの映像美。光り輝く白を基調とした映像に、赤、赤、赤と血をも連想させるほどの赤が映画を彩っていく。とくにスペインのトマト祭りの光景は圧巻である。
ここで彼女についてわかることがいくつかでてくる。仕事にするほど旅をこよなく愛する女性であったこと。赤い色と強い結びつき(トラウマとも言えるかもしれない)があること。そして、彼女には家族がいたという形跡だ。

時間は過去に遡っていく。男と恋に落ち、幸せで豊かな生活を送る日々。妊娠がわかり、仕事を辞めざるを得なくなった日。息子ケヴィンが生れた日。泣きやまないケヴィンに疲れていく日々。
ケヴィンは成長していくが、彼女は彼を理解できず、上手く接することができない。一方で彼自身もエヴァに対してのみいたずらを執拗に繰り返す。それはもう幼児の悪戯、わがままとは呼べない悪意の発露ともいえる。
母親は、子にとって最初の保護と愛着の対象である。それなのになぜ、母親に対してこうも悪意があるのか。これが父親に対する反抗も加わったらエディプスコンプレックスという説明がつくだろうし、父殺しという物語なんかも予想がつきやすい。しかし、この物語はそうではない。父親をはじめ、周りの人間たちには良い子を「演じる」のだ。彼の心が理解できない。だからこそ私たちは、母エヴァと同じ目線に立ってケヴィンの悪魔のような笑顔に戦慄し、自身の予想する「最悪の予感」をことごとく先取り、実行してくるケヴィンの行動に恐怖する。Buddy Holly の「Everyday」(予告動画でも流れている)をはじめとした無邪気で牧歌的なBGMも、全てが恐ろしい歌に聞こえてくる。ホラー映画よりも怖い。

子は親を選べないと同様に親は子を選べない。だからこそ親はビジョンを立ててその通りに子どもを育てようとする。しかし、いつだって親は子どもに裏切られるのだ。マニュアルがなく、思った通りにいかない子育ての難しさと厳しさ。この物語は子ども、子育てに対しての親の恐怖をあぶり出していく。そして、ケヴィンの引き起こした事件によってそれは完結される。
少年は残酷な弓を射った。父や妹の存在も、彼にとったら母を徹底的に傷つけるための道具に過ぎなかった。エヴァはこの日全てを失った。

エヴァが赤を意識する理由がはじめてわかる。彼女にとっての赤はもはや「血」でしかない。彼女は家や車に塗られた赤のペンキを必死でそぎ落とす。彼女はこの行為によって息子との関係を断ちたいのだ。それでも血の繋がりがそうさせない。切っても切れない関係に、己の罪悪感に彼女は悩み苦しむ。そして、やはり十字架を背負って破局後の世界を、贖罪の日々を生き続ける。
そんな彼女にとっての唯一の救いは結局一番憎んでいるケヴィンしかいない。月に何度かはわからないが、刑務所までケヴィンとの面会に行く。二人は終始向かい合ってはいるが、目を合わせることはない。いつまでも解り合えず、断絶が続いてる。

ケヴィンは美しく成長していくが、いつまでも少年だった。そして凶悪な事件を引き起こす犯罪者となった後も。しかし、そんな彼を不気味で恐ろしいモンスターと位置付けるのはあまりにも単純だ。ケヴィンは母に愛を求めたのか。エヴァに責任はあったのか。まったくもって二人に希望や再生はないのか。それらを吟味していく必要があろう。
ケヴィンがエヴァに対して向けた悪意は母親の本音を引き出したいがゆえではないだろうか。人の気持ちに敏感なエヴァの子だけに彼もまた繊細で人の本心を察することなど容易い。だからこそ、「あなたのせいで自由を失った」と言ってほしかった。それがたとえ醜い本音であってもケヴィンはエヴァの本当の気持ちをエヴァの剥き出しになった言葉で知りたかったのだ。その意味で彼は母に対する愛を熱烈に求めていた。しかし、エヴァはそれと反対に自分の感情を殺していく。だから、最悪の日が起きてしまった。
では、エヴァだけに責任があったかというとそうではない。彼女は彼女なりに母を務めようとした。しかし、それが世間に普遍に浸透している母親像だった。世間一般の良き母親。母親はこうでなくてはならない、こういうものだという「母性本能」論ならぬ「母性神話」に彼女は負けてしまったのだ。それが自身の本音との間で葛藤を起こし、ぎこちない母親としてケヴィンに読み取られてしまった。これは、親なら、特に現代の母親なら誰しもが感じる葛藤ではないだろうか。
そんな彼を、彼女を責めることなど私たちにはできない。
唯一救いとなるシーンがある。事件からちょうど二年経つという日に母子が初めて面会で見つめ合うところだ。何も語ろうとしなかった彼が、初めて揺らぎ、何かを伝えようとする顔つきをかすかに見せ、面会時間の終了を告げられる。そして、母は解ったように初めて息子を胸に抱きしめる。ようやく二人は親子としての出発地点に立てたのだと思いたい。

長くいろいろと述べてきたものの、基本は「全くわからない」だ。一度観ただけじゃ10%もわからない。もしかしたら何度観てもわからないのかもしれない。理解不能の状態に立たされた時、何を思うか。それがこの映画の醍醐味である。
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by komei115 | 2012-07-18 23:56 | Movie