青い果実の実る頃には

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映画から学ぶもの ~私が女になった日~

ネタばれ注意!

072.gif072.gif072.gif072.gif☆  8/10

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2000年製作/イラン (DVDあり)

三つのオムニバスから見えてくるイスラムの女性像。古きものと新しきもの、自由と抑圧、生と死。それらを抱え込むイランの現状が見えてくる



『カンダハール』のモフセン・マフマルバフ監督の妻マルズィエ・メシュキニ監督のデビュー作である。脚本はマフマルバフ監督が担当している。とある島を舞台に、少女「ハッワ」、成人女性「アフー」、老婆「フーラ」をそれぞれ主人公に三つのエピソードで描くオムニバス映画となっている。

あらすじ(一話のみ)
まもなく9歳の誕生日を迎えようとしているひとりの少女。9歳を迎えると同時に女の子は髪をベシャールで隠して人目に触れないようにしなければならず、昨日まで毎日遊んでいた男の子との交際も禁じられてしまう。これはイスラム教の厳しい風習である。どうしても遊びに行きたかった少女は、まだ生まれた正午になっていないと主張する。それならばと、祖母は棒を地面に挿し、「この影がなくなったら家に戻ってきなさい」と告げる。少女は急いで少年の下に駆けていく・・・。


この映画はあくまでも「イスラムの女」であり、イスラムの厳しい風習の中で生きる女性を映してはいるものの、それは「女性は何のために生まれ、生き、死んでいくのか」という世界で共通する女性としての生き方、在り方、すなわちジェンダーを深く意味するものになろう。そして三世代に渡って繰り広げられるオムニバスの三つの挿話は、「朝は4本足、昼は2本足、夕方には3本足になる動物はなにか」というスフィンクスの謎のようにも映る。それは人間であり、この作品においての答えは女である。

それぞれの話に共通するものはイスラム社会の理不尽(世界共通といっても良いかもしれない)である。大人の女になったからといきなりベシャールを被せられ、男子との接近を禁じられたり、男社会の中束縛されて過ごし、男のために老いていく日々を過ごす。それを女の人生と呼ぶにはあまりにも理不尽なものである。
だからこそ、女性たちはそれぞれの時間を誰のためでもなく、自分のために必死に生きようとする。まるでシンデレラのように残された時間を過ごす少女(反抗)だったり、馬で追ってくる夫(伝統・風習)から逃れるために永遠と続くサイクリングロードをひたすら自転車を漕いで進む妻(自立・解放)だったり、年老いてやっとのことで解放され、自分のために遺産を浪費し、子どもを欲しいと願う老婆(再生)だったり。

三話目のラストで、老婆が買った家具をぜんぶ筏に乗せて子どもたちとどこともしれず沖へとこぎ出してゆくシーンがある。その姿はまさに死へと向かう花嫁である。そして、筏の上に乗って沖に漂う老婆の姿を海岸から見ている人々のなかには、一話に出てくる少女ハッワも混じっており、老婆が海岸で話をする女たちの口からは、二話のアフーが結局男たちを振り切って、完走したことも知れることになる。こうして三つのエピソードは緩やかに結びつきをみせ、本作は古きものと新しきもの、自由と抑圧、生と死がそれぞれ混沌と渦巻くイランの今を見事に象徴させ、先に述べたスフィンクスの謎のように一日を人間の、女の一生に見立てることに成功した。

さて、この映画から12年が経つ今も、映画『別離』などを見てもあまり変っていないように思う。古き風習や伝統は良しと決めつけられることが多く、なかなか変わらないものである(もちろん、古き良きこともあるだろうが)。
しかし、先日のオリンピックでは、初めて参加国全てに女性選手が登場した。世界における男女平等はまだまだ産声を上げたばかりだが、この流れがどのように広まっていくか、いつごろ真に男女平等の世界になるかが見ものである。
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by komei115 | 2012-08-15 23:39 | Movie