青い果実の実る頃には

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カテゴリ:Miscellany( 40 )

お笑い芸人の鉄拳をご存じだろうか。

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スケッチブックを持ち、自筆のイラストを見せながら滑舌の悪いトークで「こんなものはいやだ」というネタ(めくり芸)をする芸風だが、そんな彼のパラパラ漫画がまさかのMUSEのPVに使われるというのだ。



その映像にしばらく圧倒された。とてつもないセンスを、迸るパトスを作品に感じる。
首つりネタなどブラックジョークをよく使う人だとは思っていたが、こんなにも繊細で、情熱的な表現ができるとは思ってもみなかった。

他にも「振り子」という作品もある。



その巧みな見せ方には感動すら呼び起こされる。
お笑い芸人としても良いが、こっちを本職に活動を考えても良いのではないだろうか。
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by komei115 | 2012-12-12 16:32 | Miscellany
この歌詞をもう何度聞いたことだろうか。
朝の連続テレビドラマシリーズ『純と愛』が始まって、今日でもう36回目を迎える。

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一時間ドラマだったらもう9話目が終わっている。1クールものなら物語は終盤に向けての大きな山を登り始めるところといったところだろうか。
さて、この物語は今日の回を持ってしてようやく長き序章が終わり、物語の本編が始まろうとしている。では、これまでの回は面白くなかったか?いや、決してそんなことはない。現に、私は生まれて初めて朝の連続テレビドラマを36回一話も欠かすことなく見ているのだから。この「観たい」と思わせるエネルギーはどこからくるのであろうか。

これまでの作品と見比べると、この作品は「特殊」な部類に入るといってよい。少々、だが確実に常軌を逸していよう。
誰が見ても話が「ぶっ飛んで」おり、人を朝から平気で不愉快な思いにさせることもある。物語の向かう終着点の場所が一向に見えてこず、着地点の予想をつけることができない私たちは観ていていくらか不安になってくる。

この2点の要因により、この作品に対する評価は真っ二つに分れるはずだ。「わけわからんから切ろう」と「わけわからんからもう少しだけ見届けよう」とに。
私は後者だった。「もう一話だけ」「もう一話だけ」。それがズルズルと36回見続けているわけだ。そして、気が付いた時にはすっかりこの作品にハマってしまっていた。
なにより役者の演技が皆ものすごい。だれもかれも、その変わった登場人物を貫き通している。特に愛(いとし)役の風間君の演技は誰よりも光っている。
撮影陣も変わっている。「これはカットでしょ」と言う程、台詞を噛んだり言葉足らずになったりしてるのにもかかわらず平気でそれを使っている。しかし、それがさらに素を出せていて登場人物たらしめている。もしかしたら、台本は細部まで設定していないでアドリブもちょこちょこ入れているのかもしれない。

ぶっ飛んではいるが、フィクションもここまでやられると、寧ろこの世界の方が「リアル」なんじゃないかと思えてきたりもする。愛(いとし)の目に映る社会は汚く、暗く、不透明で、絶望的だ。しかし、これこそが今私たちが生きている社会そのものなのではないだろうかと。
人は誰もが無意識のうちにものさしを使っている。自分の利となるか害となるか。そして他人を疑い、蔑み、差別する。フィルターをかけてものを見てしまうのだ。一方でまた、自分を相手に見せる時もたいていフィルターを通している。本音を言わず、自分を隠して。自分と相手の間にフィルターを取り除くことはなかなかに至難の業だ。
人間だからフィルターがあるのは仕方のないことなのかもしれない。義理も人情も薄れてしまった現代は(私はその時代しか知らないし、一概に昔と比べるのも良くないが)なおさら社会の風当たりがきつかろう。しかし、それでもそのフィルターを取っ払って正面から向き合え、ぶつかり合える人間が一人でもいたらなんと素晴らしいことだろうと思う。

『純と愛』は、まさにそれを気付かせてくれる現代の大きな病に対する処方箋である。二人はお互いに迷い、悩みながらも信じ、伝えあう。「相手を愛して信じる」。それは、「自分を愛して信じる」ことでもある。
この混沌とした世の中でしたたかに生きていくために必要なのは誰かを純に愛することであるとこの物語は訴える。そして、それを信じる二人の行く末が、二人の未来が今後は加速しながら展開されていくことになろう。
このドラマからはますます目が離せない。
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by komei115 | 2012-11-10 20:02 | Miscellany

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by komei115 | 2012-11-03 21:56 | Miscellany
久しぶりにブログを更新しました。
決して大それた用事で書かなかったからではなく、書けなくなってしまったわけでもなく、ただの書くことへのサボタージュです。夏の長期休暇とでもいいましょうか。とにかく詰まりに詰まってパンクした頭をリフレッシュしたかったんです。
書かなかった間に、読んだ本や、観た映画、聞いた音楽が溜まってしまい、また順に紹介していきたいなと思っています。旬なものじゃなかっただけ良しとしましょう。



さて、今夏の私の中の大きな出来事といえば、なんといっても旅行。
一昨年の石垣・小浜・竹富島、去年の屋久島に引き続き今回も「島」に行ってきた。
今年は宮古島。沖縄方面に行くのはこれで4度目、滞在期間も一カ月を越える沖縄諸島溺愛者なのだが、今回も沢山の思い出と健康な身体、そして凄まじい日焼けをつくってきた。そして、未だに島の生活から抜け切れないでいる。
カメラを別の場所に保管してあるので、まだお見せすることはできないが、今後詳しい日記とともに掲載するつもりなのであしからず。

それにしても宮古島にはハマってしまいそうだ。島で出会った長淵オーラのおっちゃんが言うのも無理ない。石垣含む八重山諸島も好きだけど、宮古島の「丁度良さ」具合は絶妙だ。
宮古島は島一周車で6,7時間ととても小さい島なのだが、これが案外広い。石垣に比べてサトウキビ畑など広大でビーチも抜群に綺麗。石垣島を始め小浜島、西表島、与那国島等八重山諸島がいいところだけ一緒くたに詰まったような雰囲気を見せる。ドライブにはもってこいの地だと思う。その反面、甘く見てレンタカーも何も予約してない私たちにとって移動手段、特に車の必需性を大きく感じた。実際に移動問題にぶち当たって、途中でレンタカーを借りることにした。ペーパードライバーの私たちにとって初めこそビクビクものだったが、それでも宮古島ののんびりとした交通のお陰で有終の美を飾ることはできた(のではないだろうか)。

宮古島で、初めて本格的にシュノーケルをやった。自分で道具を揃えて、毎日海に飛び込んだ。
水中撮影用のカメラケースで初めて海の中を撮影することにも成功した。

今まで体験したことのない世界。まるで巨大な水槽の中を泳いでいるようで、近寄ってくる沢山の熱帯魚や大きく広がるサンゴには圧倒され、感動した。これはまた、登山に続き新たな趣味の一つとなりそうである。

海が綺麗ならビーチも綺麗。サラッサラの白い砂は足裏を痛めることはない。
夕焼け空も綺麗で、時間が普段の何倍も遅く流れるように感じた。


しかし、全体を通すとあっという間の旅行だったわけで、羽田に着くとどっと疲れと寂しさがこみ上げてきた。できれば来年も行きたい。次は本格的に三線も弾いてみたいし、工芸にも挑戦してみたい。シュノーケルからダイビングへと移るのも良いだろう。ますます、沖縄の虜になってしまった。リフレッシュのつもりが、すでに頭は来年のことでいっぱいである。
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by komei115 | 2012-09-12 21:35 | Miscellany
書かずには寝られませんでした。


今まで、ブログで散々自分の主張を言ってきた割に、どれもこれもパッとせず、伝聞で作り上げられた机上の空論でしかなかった。私が私らしく私なりに主張するにはどうすれば。それは結局は自分の五感で感じ取るしかない。だから、自分の足を使って、自分の目で見たものを書く必要性を強く感じた。

そこで13日金曜日の国会議事堂前のデモを見に行ってみようと思い至った。しかし、いざ行ってみると、南北線の電車の中で葛藤。「私は人から過激派と見られるのだろうか」「計画的でないのに参加すべきなのか」という疑問が浮かぶ。脱原発のために行く。じゃあ自分は徹底した節電、エコライフを送っている自信はあるのか。脱原発だけ訴えて、他の環境破壊や問題は訴えないのか。それはただ他者と共感し繋がりたいだけの自己満足ではないのか。そう思うと、他の人に比べて自分は中途半端な気持ちで臨んでないかと急に不安になり、いざ国会議事堂を出た直後の警察の規制や溢れんばかりの人の多さに圧倒され、恥ずかしながらすぐさま引き返してしまった。自分は自分の弱さに、そしてあれこれ理由を並べ挙げて自分の撤退を正当化しようとする自分の卑怯さに負けてしまったのだ。

それでもやっぱり参加したいと思ったのは坂本龍一さんの発言による部分が大きい。「数回デモをしたところで政府に届くかと言ったら届かない。長い闘いになる。それでも、私たちは声を上げ続けることが必要なのだ」と。マイノリティだとか、アウトサイダーだとか、人の視線とか、思想だとか、論理的な発言だとか、そんなのは関係ではない。とりあえず自分の深いところで「これはダメだ」と思ったらまず声を上げる必要があるし、上げていいんだと。どうこう考える前に現場を見に行く。自己満足で良いじゃないか。そう解釈したとたん胸がすうっと楽になった。16日の集会はもっと素直な、純粋な気持ちで臨んでみようと思った。

さて、そして来る16日。それでも原宿駅に着いた途端人や幟で溢れかえっているのを見ると、個人参加である自分はやはりすぐにその空気に飲まれ、小心者の心臓がMAXにビートを刻み始める。「テレビカメラにだけは映りませんように」と意味不明なお祈りをして歩く。

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老若男女どこまでも人、人、人の山。そして、様々な個性ある色の旗や幟や横断幕が風にはためき、日差しで鮮やかに景色を彩っている。道端にはまるでお祭りかのように露店が並び、昼食をとっている人も多かった。公園内に入っても人が密集し、犇めき合っている。野外ライブも行われていた。これはTDLやライブやスポーツ観戦で群がる人数の比じゃない。本当にこれが警視庁調べで言う1万数千人の数か?と疑問に思う。代々木公園の広さから考えてこの数は10万を軽く超しているだろうと予想した。
集会も凄まじかった。人のエネルギーが一つに集まり、その中での大江健三郎氏、坂本龍一氏などの演説がテレビで聞くよりぐっと心に沁み入ってくる。特に「週刊金曜日」の編集者でもある落合恵子さんの訴えの時には感極まって涙をこぼしてしまった程だ。「あっ、まだこの国にも希望ってこんなにあるんだな」「自分が震災の時に感じたあの虚脱感や絶望感をこんなにも掬い取って、代弁してくれる人がいたんだな」と様々な思いが蓋を開けたように溢れだした。
この時点で自分の目で見て、空気を肌で感じることの大切さを痛感した。伝聞は所詮伝聞でしかないのだ。こうなったら自分なりに人と話してみようといろいろ伺った。

これまで「デモ」と言ったら政治思想を持った過激派達(一部だが)の活動という印象が強かった。しかし、ここ最近の「デモ」の動きに新たなうねりを感じてならない。
実際に聞いてみたところ、ホントに全国各地から飛んできている人が多く、それだけいろんな団体も多いのだが、自分でプラカード作って「個人で来た」、ベビーカーや子どもの手を引いて「家族で来た」という方も多かった。帰りに行きつけのカフェに寄った時も、たまたま他の客とデモについて話す機会があると「私は29日に行くよ」とか、「家族で参加するつもりだよ」とか結構ラフな感じでみんながデモを語るのだ。
もう一点。個人ではスマートフォンやipadでツイッターやフェイスブックなどSNSを利用して情報を知って来た方が大半だった。確実に情報化に伴って「デモの大衆化・個人化」が起きている。

団体と個人の違いは、デモ行進の時にそれが顕著に出た。団体は車道、個人参加の人はガードレールを一本隔てて歩道を歩くのが目立った。「入らないんですか?」と聞くと「別にどの団体に所属してるわけじゃないし、一緒に歩くことはちょっと。でも、参加したからには歩きたいよね」との返事をもらった。まさに自分が心に思っていたことを言い当てられたと思った。私も、車道と歩道どちらを歩こうか迷った結果、何となく歩道を取っていたからだ。

デモは団体の物だけのものではなくなり、「モノ言う個人」のものとしても機能し始めている。これは良い傾向ではないだろうか。もっと個人が自由に、「この制度や問題には反対だ。今度デモがあるみたいだからちょっと混ざろうか」くらいの気持ちで臨む方がかえって純粋な活動を起こせる気がする。原発問題という国中が恐怖し、現時点での国民の死活問題だけに今回集まった人が大半だろうが、これを機に「団体ではなく個人の意思で」参加し、そこで自由に発信することで新たな人と繋がってまた自分の視野が開ける。そんな「小さな物語」を作っていくことが自身の豊かさ、希望に繋がっていくのではないだろうか。
私は、今後ともデモを、草の根運動を続ける人たちを見届けるとともに、個人としても参加・発信していこうと思う。
とりあえず、興味があるのはこの16日を受けて今週金曜日のデモがどういった姿を見せるのかということ。また増えるのだろうか。今日は各メディアで大々的に放送もされるとともに、また電力会社の国のエネルギーに関する聴取会問題についても報じられていた。
そして、この情報化による新たなデモの形の広まりが今後政府にどうやって届くのか、また届かないのか。
この目で見たい。
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by komei115 | 2012-07-17 01:17 | Miscellany
昨日は七夕ということで休ませてもらいました。
そして、これを機に考えてみた結果、明日からブログの方針を変えてみようかと思います。
理由はメリハリをつけるためと、なるべく伝聞ではなく自分の目で見て感じ取ったものを素直に書くようにするため。
カテゴリーが多い割に、最近書いてることが偏ってしまっていることにうすうす危機感を感じており(それはそれで良いのかもしれませんが、怒ってばかりいてもしょうがないですよね)、もう少しカテゴリーを有効に使っていこうと思いました。
そこで、曜日制を取ろうかと考えています。時間帯は都合もありバラバラですが、なるべく早い時間に載せられればと思っています(情報も活きが良いうちに提供したいですし)。

~以下予定表~

曜日・・・コラム(週の始めということで手堅くいきます。それにしても、コラムを書くのが一番難しい。改めて天声人語の凄さがわかります)

曜日・・・自然と科学(人間は結局自然の中でしか生きられないというのが自論です。自然を敬い、畏れる上での科学の発達という願いを込めて書いていきます)

曜日・・・本・音楽(最近、買う量に反して読書量が落ちているので未読の本が溜まって困ってます。書籍に限らず出版物ならなんでも取り上げます。音楽も広いジャンルで紹介していく予定です)

曜日・・・映画(映画へのモチベーションは相変わらず高いのです。気分が乗れば一日に2,3本紹介するかもしれません)

曜日・・・小説(物語は私にとって魅力的です。次の作品を出したくてたまりません。しかし、定期的に出さないと忘れちゃっていけませんね。とりあえず第一作を完結させないと。量は原稿用紙5枚分を目処に。)

曜日・・・デモ・シュプレヒコール(決戦は金曜日ということで。様々な学問を駆使し、思考や哲学を実践して言いたいことを言えれば、そしてなるべく足を使えればと思います。)

曜日・・・PAtrioT!(週末に一週間の出来事を振り返ろうかと。内容はコミカルなものを目指します)


「雑文~」を始め、その他のカテゴリーは不定期に載せていきます。都合等で書けないことに加え、もっと練って書きたい場合が出てくると思うので、休む日が出てくることもあるかと思います。その時は次週までに整えて載せるつもりです。

とりあえず、この流れで明日から始めていきます(本当は日曜からの方が良かったんですが)。
「別に告知する必要なんて」とも思いましたが、自分を奮い立たせるためにも敢えて書かせてもらいました。
こう宣言したところで上手くいくとは思いませんが、もっと楽しくてワクワクさせるようなブログ製作と文章力の向上を目指して日々励む所存ですので、温かく見守ってやってください。これまで通り意見、批判は大歓迎です。反論のある方はメールして下さい。
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by komei115 | 2012-07-08 22:37 | Miscellany
「マンガ」文化は今や「JAPANESE MANGA」として世界に定着しているが、「アニメ」と聞くと、未だにオタク的要素が抜けれてない気がする(前に「ジブリ」をつけると何故か一般対象に受け入れられるが)。しかし、アニメは映画に引けを取らない日本の宝であり、決してバカにできないし、断じて「サブカルチャー」ではないと思っている。
元来「オタク」は特定の分野・物事を好み、収集を積極的に行う人を指していた。それなのに、ロリータやショタが台頭してしまい、さらに「萌え」なるものが流行ってしまったのが狭義的な「オタク」のイメージを形成させてしまった。虚構性が高いとされ、元来のオタクの人も一緒くたに型にはめ込まれてしまったのだ。由々しき事態だ。
いけない。話が逸れてしまったので本筋に戻したい。最近、フジテレビの深夜枠の「ノイタミナ」アニメがおもしろい。先週最終回を迎えた二作。
佐世保の港町を舞台としたJAZZ青春アニメ「坂道のアポロン」と江ノ島を舞台とした釣りアニメ「つり球」。
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「たかがアニメ」とは言えない。二作ともなかなかに見応えのある青春活劇で、疲れた心を癒してくれる気楽さも兼ね備えている。変にインテリ哲学ぶってるわけでもなく、少年たちの純粋な思いや葛藤は見ていて清々しい。
今日から始まる新作にも期待している。農業、農学アニメ「もやしもん」の続編「もやしもんリターンズ」である。「もやしもん」は石川雅之による日本の漫画作品だ。青年漫画誌『イブニング』(講談社)にて、2004年16号より連載中で、2007年10月から12月までフジテレビのノイタミナ枠にてテレビアニメが放送された。2010年には実写ドラマ化もされており、同年7月から9月まで、テレビアニメと同じくノイタミナ枠で放送されている人気漫画である。
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こういった爽やかな青春や成長を感じられるアニメ、楽しく新しい知識をもらえるアニメなどが世間広くに浸透していってほしい。「宇宙兄弟」も好調だ。
逆に、中途半端にインテリぶった知識のひけらかしや言葉遊びは気に障ってよろしくない。それ以上に気に障るのが「萌え」という単語だ。「エヴァンゲリオン」はロリータ要素がありつつも剥き出された感情や「エログロ」の要素があり、まだ見応えはあったが(心理学を学んでいた学生時代ハマっていたことを思い出す)、「萌え」や「エロ」のみに傾倒したテーマ性のないアニメは惰性的で面白味が全く伝わってこない。そもそも可愛さを追求するあまり人間性を欠いてしまった登場人物たちの絵が「萌え」るという感覚が私にはわからない。恋愛アニメなら「めぞん一刻」など一昔前のアニメの方がよっぽど面白いし、人間性としても可愛らしい。
冒険ファンタジーであろうと日常アニメであろうと構わない。結局アニメも映画やドラマなんかと同じで、何を観る者に伝えたいかの情熱で面白さが大きく変わってくるものである。製作者たちの私情で情熱の上にビジネスという市場を持ってきちゃうと、とたんに面白くなくなる。そっれは、深夜バラエティがゴールデンに移るとダメになる感覚に近い。
なんにせよ、アニメがもっと大衆的になって色んなジャンルの良作アニメが作られ認められるように願い、今後とも注目していきたい。
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by komei115 | 2012-07-06 01:23 | Miscellany


コカ・コーラのCMで起用された映像。世界中に設置された監視カメラの映像から、ちょっとだけステキな瞬間が映されている。斬新でオシャレなCMだし、ついつい素敵だなと思ってしまうが、どうなのだろうか。
今や世界中に散りばめられた無数の監視カメラ。日本でも増加の一途をたどっているが、観られること、監視社会は果たして安心といえるのか。
決して安全=安心ではないと思う。最近それら二つの言葉が一緒くたにされている気がしてならない。安心は心の安らかさを指し、その社会は人を信じ、人と繋がることから始まる。安全は危険の排除であり、そこには人を疑うことで成り立つものもある。
時には裏切られることもあるが、人が助け合って生活を共にする社会と、危険がなくとも無味乾燥で人を信用できない社会。あなたはどちらを好むか。
皮肉にも監視カメラの中で、生き生きとした人間の面白さ、営みが流れる映像には考えさせられるものがある。
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by komei115 | 2012-07-04 20:41 | Miscellany
今回はとある事件をもとに、日本国憲法第21条の「表現の自由」について考えてみたい。

はじめに、日本国憲法第21条では

1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

と規定されているが、なぜこの「表現の自由」が大切なことなのか。
それは、まず私たちが「情報」について考えるときに前提として理解しておかなければならない(情報だけが表現ではないが)。新聞、テレビ、ラジオ、写真といった各々のメディアから流される情報は、事実に対して予め編集者や製作者のなんらかの評価や判断が加えられ、表現に加わった人の考え方や価値観が反映している。その表現する過程においての彼らの思想や価値観の自由は尊重されなければならないということだ。
では、なぜ尊重しなければならないか。例えば、テレビの放送があるとする。何分放送するか、どのような映像を流すか、反対の人の意見をどうするかなど、製作段階ですべて番組制作者の意見や価値観がそこには反映されることとなる。それに対し、そのような報道や主張を正しくないと考える人もいるかもしれない(というか必ずいる。全ての人が共感することはありえない)。だが、こういった「この番組内容は中立的でないから変更した方がいい」という反論者の意見もまた、ある特定の価値観に基づいたひとつの主観的意見にすぎないということになる。

問題は、このように意見が対立したときに、誰がどのようにその是非を決めるのかということだ。もし、国や政治家が「この内容は偏っていてよくないから内容を変更すべきだ」ということを一方的にメディアに押しつけることができるとしたらどうなるだろうか。それでは国や政治家の気に入った番組や記事しか流されなくなってしまう。また、「この記事は国にとって不利だから放送してはならない」と放送内容を検閲し、中止させるようなことがあったらどうなるだろうか。それでは、私たち国民は真実について知ることができなくなる。
中国などは未だに検閲などは厳しく表現の自由はごくごく限られているが、日本では憲法によってそれらが保障されている。誰もが自由に発言でき、表現し、知ることができる。もちろん、それによって問題は増えるが(プライバシー問題等)、それでもこの憲法によって保障された環境は大切に守っていく必要があろう。実際に自由に発言できない環境は窮屈極まりない。

さて、本題に入ろう。
最近表現の自由に関する騒動が起きた。今月26日から東京・新宿で開催予定だった元朝鮮人従軍慰安婦に関する写真展をめぐり、会場を運営するニコンが中止を決めた問題で、東京地裁は22日にこの写真展のために会場を使用させるようにニコン側に命じる仮処分決定を下し、予定通り26日から開催を始めた。ニコンは意義を申し立てており、意義が認められれば7月9日の予定を早めてでも中止すると表明している。
仮処分を申し立てていたのは、写真展を企画していた名古屋市在住の韓国人写真家安世鴻(アンセホン)さん(41)。昨年12月に会場の使用を申し込み、写真家ら5人による選考を経て、今月26~7月9日に新宿のニコンサロンで開くことが決まった。しかし、ニコンは5月22日に写真展の中止を安さんに伝えた。
 ニコン側の主張はこのサロンが「写真文化の向上を目的」としており、「政治性がないことが応募条件」ということで中止の正当性があるとのこと。それに対し、決定は「そのような条件は明示されていない』とした上で、「今回の写真展は一定の政治性を持つが、写真文化の向上と言う目的と共存しうる」と判断し、使用契約の解除はできないと結論づけた。

ここで、疑問に思う人もいるかもしれない。「憲法って国と個人との問題でのみ機能するんじゃないの?」と。確かに憲法の本来の機能としては、その国家を設置した国民自身が自らの国家権力を監督するためのもので、憲法が適用される典型的場面は「私人対国家」である。しかし、「私人」相互において社会的格差が生じている現代においては、人権侵害が生じる場面は対国家には限られず、私人相互の関係(たとえば、巨大企業対労働者の関係など)においてもその適用が問題となる。これは憲法の「私人間効力」と呼ばれており、直接適応説、間接適応説などと学説は分かれている。

会場の使用は、憲法が21条で保障する「表現の自由」や「集会の自由」に密接に関っており、トラブルが絶えない。最近では2007年に日教組の集会使用を拒否したプリンスホテルに対し使用させるように命じる仮処分決定や、朝鮮総連が日比谷公園の音楽堂の使用許可を東京都に取り消された問題でも、東京地裁は使用を認める決定を出した。
いずれも、使用を拒んだ側の主張を認めない司法判断が相次いでいるが、これは「表現の自由」に配慮した当たり前の判断だと言ってよい。ニコン側は決定に従うべきであり、写真家の自由な表現を発信する場を守る側として本来の姿に立ち戻って欲しい。
それにしても、なぜニコンは写真を愛する人々を裏切ってでも外部の圧力に屈したのであろうか。当時、ネット上に「歴史の捏造に加担する売国行為」などと批判する内容の投稿が相次ぎ、ニコンにも抗議電話が寄せられていた。ニコン側は明らかにしていないが、複数の人々がネットへの書き込みや抗議活動をしたとみられる。そのうちの一団体は2010年に製作された和歌山県太地町のイルカ漁を告発した米映画「ザ・コーヴ」の国内上映に抗議し、中止に追い込んだグループの一つだ。
彼らは「売国行為」で国益に反すると訴えている。自分たちが信じることができないものを公に発表されることを嫌い、憎むその気持ちは解らなくもない。しかし、表現の自由は絶対的に尊重されなければならない。国の敵か味方か、右か左かの稚拙な二元論で判断し、憲法で保障されてある自由をも否定してまで自分たちの信じる正義を振りかざすのは見苦しい。愛国心があるのなら、まずは憲法を最大限に尊重すべきではないだろうか。
提示された表現が真実かどうかを判断し、取捨選択するのは私たち情報消費者側の目だ。提示された表現に対し、表現し返して消費者の判断を仰ぐことはフェアであり妥当であるが、判断する材料そのものを不当に奪う、圧力をかける行為はあってはならない。

私たち全ての人類が互いに解り合えることはない。だからこそ自分の思いや考えを人に知ってもらったり、また、人の発表するものを見たり聴いたりすることで、より幸せに、豊かになることができる。例えば、飲みの席でも「私は~についてこう思うんだ」と熱く語って、それが他人から「そうだよね、自分も同感だよ」と言われたら嬉しくて、気持ち良くて、お酒がまわって、さらに飲み明かそうと思うことなどザラにあろう。何かを表現したい、知りたいという欲求は、もっとも人間らしい行為であり、私たち人間の本質に関わるものである。「その人」らしさという個性でもあり、その意味では人間の尊厳に関わるものでもある。
この「表現の自由」が戦争という負の歴史を通し、そこから先人たちの手によってつくられた憲法の中に規定されていることを私たち現代人は光栄に思わなければならない。表現できる喜びを、知る喜びを大切にし、日々の生活を彩っていきたい。
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by komei115 | 2012-07-03 23:03 | Miscellany
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決勝で4-0ですか。
おめでとう、スペイン二連覇。今大会失点1点とか強過ぎ。
イタリアは不運だったな、モッタ。でもモントリーヴォとカッサーノは変える必要あったのだろうか?
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by komei115 | 2012-07-02 05:47 | Miscellany