青い果実の実る頃には

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項目に分けて日々思ったこと、書きたいことを自由に書いてます。意見、批判するコメントは大歓迎です。個人的な問い合わせはこちらまで。koumeipart115@yahoo.co.jp

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カテゴリ:Movie( 105 )

ネタばれ注意!

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2012年6月30日よりTOHOシネマズシャンテを始め公開中
詳しくはhttp://shonen-yumi.com

理解できない。だからこそ恐ろしい。その少年が射貫いたものとは何か。その少年に弓を射らせたのは誰か

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by komei115 | 2012-07-18 23:56 | Movie
072.gif072.gif072.gif☆☆6/10

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2012年7月14日よりTOHOシネマズシャンテなどで公開中
詳しくはhttp://love-whale.jp/

アラスカのバローで繰り広げられる、クジラを救う人間たちの奮闘劇。その時あなたは、「BIG MIRACLE」を体験することになろう

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by komei115 | 2012-07-18 19:05 | Movie
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2001年公開(レンタル可)



遠く無意識にあるどこか懐かしい心の情景。言葉の重みや名前に宿る力。律義だった少女の心の変化と成長。「いつも何度でも」観ていたい普遍の名作

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by komei115 | 2012-07-11 19:51 | Movie
ネタばれ注意!

072.gif072.gif072.gif072.gif☆  8/10

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少年はビルから飛び散っていった父との「8分間」を永遠のものにするために旅に出る。しかし、その中で手に入れたモノは「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」モノだった

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by komei115 | 2012-07-05 22:36 | Movie
チベット少年が生き抜く映画「オロ」が今月30日から渋谷ユーロスペースで公開される。全国でも順次公開される予定だ。

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映画の内容もそうだが、その異色の製作過程に興味をもった。
なんと吉祥寺の老舗カレー屋の店主が映画制作に関わったという。店主はずぶの素人ながら、企画からキャスト選び、海外ロケにも同伴するという熱の入れよう。岩佐寿弥監督に頼んで、チベットからインド北部の難民施設に亡命した幼い少年の日常を追ったドキュメンタリーを完成させた。
「受難が続く現実の中でも生きる道を捜し求める主人公の姿から希望を感じて欲しい」と願いを込めて企画したそうだが、なぜ彼はチベットの少年を撮ろうと思ったのか。それを映画を見ることで考え、感じ取るのも面白そうだ。
しかしながら、こういった話を聞くと映画の魅力って、映画の力ってなんだろうと考えさせられる。映画は、時には観る者の人生を左右するほどの素晴らしい作品も数多くある。
「オレンジと太陽」のジム・ローチ監督は「観て感じ取り、そこから突き動かされる衝動が映画の魅力であり、そういった観客にバトンを繋ぐような映画作りを大切にしていきたい」みたいなことを話していたが、本当にそこなんだなと共感できる。“橋渡し”の映画。なんとも心地よい響きだ。そういった映画を作るためには、作り手側として何を伝えたいかというテーマもそうだが、それを伝えたいという情熱もそれ以上に大切な要素なのだろう。究極の話、技術云々ではなく、自分が「こういったものを撮りたい、観たい」という情熱さえあれば後はどうにでもできるのかなと思う。
「カレー屋でも映画が作れる」。これは社会に表現したい者たちへの一種の光となろう。
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by komei115 | 2012-06-26 22:10 | Movie
昨日の分を載せられなかったので遅ればせながら今日(6/26)載せちゃいました。

ネタばれ注意!
本作を予め観ていることをお勧めする

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by komei115 | 2012-06-25 21:14 | Movie
38度線。誰しも一度は社会科の授業で耳にしたことがある言葉だろう。朝鮮半島を北と南の二つに分断する線。本来国境なんてなかったはずなのに第二次世界大戦、朝鮮戦争と経て北はロシア南はアメリカが占領した(日本も一枚噛んでいるが)。
分断された北と南は今も多くの問題を孕み軋轢を生んでいる。同じ民族同士が憎しみ合うというこの悪循環はどうにか改善してほしい(以前金大中の太陽政策というのがあったっけ)。映画「パッチギ」で、もし日本が南北(東西)で分断したらという話が出ていたが、もしそうだったらどうなっていたのだろうか。同じように南北で憎しみ合っていたのだろうか。そうすると東京で暮らしている今の自分は存在しなかっただろうし、多くの東に住んでいる友人とも出会わなかっただろう。偏った思想を持ち、国境の外の国を批判していたかもしれない。運命とは皮肉なものだ。

さて、グダグダと述べてきたが、まず確認しておきたい南北朝鮮の背景がある。映画のタイトルにある「ムサン」とは何だろうか。北朝鮮と中国の国境の街で、漢字では「茂山」と書く。脱北者の多くがまずはムサンを目指し、川幅が狭く冬には凍結する豆満江という川を渡って中国に入り、そして中国から韓国へと入っていくのだ。そのためムサンには、脱北者を取り締まる国境警備隊が配置され、実弾を常時携帯している兵士が警備にあたっている。取り締まりは非常に厳しく、「怪しい人間が通ると捕まえてパンツの中まで調べる」と言われるほどである。
韓国に暮らす脱北者は年々増加の一途をたどる。何故か。彼らは北じゃ生活できないほど飢えているからだ。かつては政治亡命としての脱北者がほとんどだったが、1995年頃から始まる北朝鮮の大飢饉あたりから、深刻な食糧難や生活苦のために脱北する人が増加し、2007年に1万人を超え、2011年11月の時点で23,100人にも達した。脱北者の人権を訴えて、政治家を目指し選挙に出馬する者もあらわれているが、その多くは厳しい生活を余儀なくされているという現実がある。
脱北者が韓国にやってくると、まず京畿道にある中央合同尋問センターに収容され、長期間にわたって尋問を受ける。家族について、脱北の理由、脱出ルートなど、生い立ちから脱北にいたるまでの過程をすべて話さなくてはならない。それが終わると、同じく京畿道の「ハナ院」という施設で最低3か月間は韓国での生活に適応するための訓練を受ける。訓練中に社会見学にも出かけ、韓国社会に溶け込むための実地訓練も行う。また就職のための職業訓練もある。ハナ院での訓練終了後、いよいよ社会に出るが、2年間は、「身辺安全」と称して地元警察によって保護される。「ムサン日記」に登場しているパク刑事のように、保安局の刑事が生活指導、職業の斡旋にいたるまで生活の面倒をみてくれるのだが、中には「監視されている」と不満を持つ脱北者も多い。
いざ、韓国で生活できるようになっても、その差別は歴然としている。彼らが北の人間といわなくても韓国側は彼らが北の人間であることがすぐ分かるようになっている。「住民登録番号」という制度があるからだ。これは、韓国籍をもつ者に対して出生時に与えられる13桁の識別番号で、国民の日常生活に不可欠だ。さまざまな手続きの本人確認手段として使われている。脱北者の住民登録番号は、男性は 125 から、女性は 225 から始まる番号で統一され、番号だけで脱北者であることがわかってしまうため、バレてしまうとスンチョルのように就職差別などを受けることが多い。

意外に長くなったので映画の感想はまた次回に。
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by komei115 | 2012-06-23 23:41 | Movie
ネタばれ注意!

072.gif072.gif072.gif072.gif☆  9/10

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2010年製作(5/12よりシアター・イメージフォーラムはじめ全国順次ロードショー中)
詳しくはhttp://musan-nikki.com/

孤独は絶望を。絶望は渇きを。渇きは死を連想させる。再生に向けてスンチョルは髪を切る。しかし、道徳性を失った再生に待ち受けるラスト3分の代償はあまりに大きい。

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by komei115 | 2012-06-22 22:14 | Movie
ネタばれ注意!

072.gif072.gif072.gif☆☆  7/10

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2011年公開(レンタル可)



“奇跡”。それは小さくても子どもにとったら計り知れないほどの大きな力となる。平成の「スタンド・バイ・ミー」ともいえる本作を観て、もう一度“奇跡”を信じたあの頃を思い出してみませんか?

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by komei115 | 2012-06-19 22:57 | Movie
前回に引き続いて「Sunnyサニー 永遠の仲間たち」について考察していきたい。

はじめに、この映画を見るにあたって見落としてはならないのが女性の物語ということと韓国の1986年という時代だ。
まずは前者。なぜ、女性なのか。本作では男性も出てくるが、女性の目を通した男性でしか描かれていない。例えば、25年ぶりに再会するナミの初恋の相手は、昔の彼そっくりの息子がいる良きおじさんでしかないのだ。その変わり様に私たち観客もナミの視点でもって複雑な表情を浮かべることしかできない。
監督は「人生のアイロニーを描きたかった」と話し、その中で自身の母の過去の写真にヒントを得たと語っているが、それ以上のことがある気がしてならない。
ナミの兄が学生運動の意義を熱く語っているそばで、母や祖母が「くだらんことやる前に働け」「お前みたいなやつが悪い女に引っかかるんだ」と罵倒するシーンがあるが、本当にそうだなと思ってしまう。ロマンを掲げ、大義名分並べて悦に浸っていても食ってはいけない。それよりも稼げと尻を叩く女性がよっぽど大人で正しい。
また、機動隊と運動を起こす学生が躍起になって市内で衝突するシーンがあるが、女子高生グループのコミカルな抗争の背景でしかない。それだけに大人の男の争いが少女たち子どもの喧嘩と同レベルであり、勇ましさの欠片もないというなんともシニカルな演出がなされていた。
こういったことから何が伺えるか。
女性の生活というのは国の文化、時代の風潮そのものを表しているといっても過言ではない。常に弱き立場におかれながらも懸命にしたたかに生きてきた女性は国の本質であり、社会のリアルなのだ。監督はきっと、古き良き韓国とそこからの時代の移り変わりを表現するために女性の物語をもとに過去と現在を対比させたのだと汲み取りたい。

それを念頭に置いた上で後者について考えてみる。1986年という時代の韓国社会はどうだったか。パク・チョンヒ大統領が暗殺され、独裁統治が終わりを告げると思われた「ソウルの春」で幕を開けた1980年代。大統領はチョン・ドゥファンに代わり1988年のソウルオリンピック誘致成功、45年以来続いた夜間通行禁止令の解除、「自律化」の名の下での中高制服の自由化を打ち出すなど、「新しい時代の幕開け」と思われた。その裏の実質の社会生活では制約が多く、学生運動、労働運動は徹底的に弾圧されていた。アメリカナイズドされ、経済成長は「漢江(ハンガン)の奇跡」と言われるほどの急成長。同時に廃棄ガスのスモッグと騒音と渋滞と喧騒に包まれたソウル。
これが「サニー」がいた時代なのだ。学生運動に浸かりきるナミの兄。それを罵る家族。方言を馬鹿にされ、親を呪う田舎娘。女子高に通う女子の実態。縄張り争いに勤しむ不良。小洒落たクラブに来る若者たち。
「昨日より今日。今日より明日はきっと良い」。経済発展の中に何か大きな物語りがあり、時代が変わっていくと信じていた。その中で少女たちは夢を見て、流行に乗り、80’Sポップミュージックに乗り、大人の真似事や危険な遊びに手を出していく。
大人に対する「反抗」であり、社会の酸いも甘いも知る通過儀礼の真っ只中に彼女たちはいた。
そうしてみると、1986年の「サニー」がいた時代の風景に違和感を感じる。「あれ、これってまるっきり1968年前後の日本と同じじゃん」。1964年の東京オリンピックに沸き、1970年に控える大阪万博という経済成長に浮かれる中、流行に乗り、ビートルズを聴き、安保闘争にひた走った全共闘時代の学生たち。
そうなのだ。日本と韓国、何も異なる事なんてありはしなかったのだ。そりゃ韓国では軍隊が機能してたり、政治のシステムや制度、文化は多少違えど、同じ道を歩んできたのだ。どこを見ても日本と大差ない。
このことに親近感を覚え、さらに現代の2011年の方を見ても生活水準の移り変わりですら日本と同じに見えてくる。これまで学生運動の中心にいたものは企業の重役に出世し、汚職まがいのことをやっている。ここらへんも日本と同じだ。
「同じ」という言葉に勇気づけられる。近年の韓流ブームはさらに熱を帯び、すでに日本では常識的になりつつある今日だが、今こそアジアの中で互いに手を取っていくべきなのではないだろうか。かつてのサンフランシスコ体制下の「アメリカ」というに依存する上で得られる自由(古くさい話だが、それでも今なお引きずっているところはあるはずだ)ではなく、仲間と勝ち取る自由のほうがいいのではないか。
互いに理解し合うには、まずは知らなければならない。そうすると、歴史や文化を学ぶにあたって、これまでミーハーだと思っていたが、解り合うために音楽や映画という芸能の文化から入っていくことも実はとても重要なことだということがわかる。

さて、これまで国(女性)と時代の変遷という視点で見てきたが、また、親子という不変の関係を忘れてはならない。ナミには娘がいて、娘の言動に手を焼いている。一方で娘は母のおせっかいをうざったく思う。この関係、ナミが高校生の時も同じだった。時代は変われど、今も昔も親子関係の根本は変らないのだ。ナミは娘との関係に不安を抱くも、昔の仲間に会うことで過去の自分と今の娘を照らし合わしていく。
そして、映画の見せ場の一つであるナミが仲間とともに娘の復讐をするシーン。これは「暴力」であり、あまりいただけないのだが、痛快で、ナミ含めたサニーのメンバーにとったら重要な「儀式」の一つだったのだ。それを果たすことで今の状況を打破するエネルギーと自己肯定による自身の活性化が生まれ、メンバーは絆が復活し、ナミ自身は娘に寄り添えるという成長があり、人はいくつになっても成長できることを呈示してる。こういった時代の変容の中、仲間や家族など変わらず培っていける関係を優しく描けているのは、監督が万人から受け入れられる大きな理由の一つとなろう。

子どもの頃に抱いた夢や世界観、無限に広がる可能性は崩れ、アイロニーだけが渦巻く閉塞的な現実社会の日常に生きる私たちが豊かに生きるためには大切な人と物語を築く必要がある。それも小さな物語だ。
政治や国の問題をちらちら見せつつもコミカルなパワーで吹き飛ばした本作のように、歌って、踊って、恋をして。仲間とぶつかり合って笑い合う。1960年代に形成された大きな集団の物語が失われたまま、ずるずるときてしまった今日、そんな単純で小さな個々の物語を形成していくことが大事ではないだろうか。
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by komei115 | 2012-06-16 23:57 | Movie