青い果実の実る頃には

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雑文・散文・駄文 その9 憲法について一度考えてみた

先日3日は憲法記念だったが、都内各地で様々な集会が開かれたようだ。東日本大震災により、「幸福追求権」や「生存権」の意義が改めて注目される中、自民党や大阪維新の会が改憲案を打ち出すなど、憲法を取り巻く情勢は慌ただしさを増している。

ここで、憲法の在り方について考えていきたいと思う。
そもそも、憲法とは何か。
憲法は国、国家の本質であるといってよい。つまり、「国そのもの」であり、そこに住む私たち「国民の共通理念」といっても過言ではない。世界中の国々が憲法を持つことによって初めて「社会的国家」と「国民」という像が生まれるのだ。

そういうわけで、国作りを行うにあたって、人々は成功したいろいろな先人や先国の事例や、過去の反省を鑑みながら憲法を制定していくわけだが、時代の変遷とともに人類そのものの基本的考え方も変わって憲法自体が古くなる可能性ももちろん出てくる。
実際に最古の米国の憲法は世界の潮流から見れば今や「時代遅れ」となっている。女性の権利や移動の自由、教育や労働組合の権利など、今では世界の7割以上が盛る基本的な権利が未だに明文化されておらず、一方で、武装する権利という世界の2%しかない「絶滅」寸前の条文を大切に守り続けていることが大きい。

比べて、私たちの日本国憲法は「65歳」を迎え、現存する憲法の中では「最高齢」になったわけだが、今でも「先進モデル」との評価を受けており、世界の最新版と比べてもなんら遜色がない。
特徴としてすぐに挙げられるのは、やはり9条の「戦力の不保持」と「戦争の放棄」であろう。一部でも似た条文を持った国はドイツの他、コスタリカ、クウェート、アゼルバイジャン、バングラデシュ、ハンガリーなど案外多くの例がある。
しかしながら、日本の最大の特徴は、一度も改正されずに手つかずで生き続けた「息の長さ」にある。こういった事例は稀である。歴史的に見てもイタリア、ウルグアイに次ぐ史上3番目だ。
それなのに、なぜ「先進モデル」を保てているのか。
それは、現代世界で主流になった人権の上位19項目をすべて網羅しているからであり、それは標準モデルのカナダですら上回る。

これまで日本の憲法が変わらずにこれた最大の理由は、国民の自主的、自発的な支持が強固だったからだ。
経済発展と、なによりも平和の維持に貢献してきた成功モデル。その姿勢を崩さなかったのは日本人の賢明さともいえよう。私たちは先人たちのおかげで、現代の世界中の国民が羨むほどの憲法を、こうして生まれながらに当たり前の「権利」として所有しているのだ。これほど名誉あり、素晴らしいことはないではないか。
爆笑問題の太田光と文化人類学者中沢新一氏の共著「憲法9条を世界遺産に」という話も大げさではない。

一方で、日本の政治家は「米国の押しつけ憲法を捨てて自主憲法を作るべきだ」、「政治の足枷になっている憲法を変えていかなければ」と議論する。まことに奇妙な話である。
まず何よりも、日本国憲法が大前提として想定している人間像は「誰かではなく、自分で自分のことを決めれる」ということだ。
ここで、「自分」というのは当然、我々「国民」を指す。

元来、デモクラシー、すなわち「民主主義」という制度は「選挙」という民主的な手続きによって、独裁者を生んでしまう恐れも内在している。そこで、そういった独裁国家に成り下がらないために、民主的に生まれた権力であっても、「国民」がつくる国の根本理念である「憲法」によって制限する。
これが、憲法の基本的な「機能」である。
要するに、「国民が行き過ぎた権力者を縛るための道具」として存在するのだ。権力側が国民に行動や価値観を指示するものではまったくもってない。
したがって、国民が総出となって「国そのものを変えたい」というのであれば「改憲」もありなのだが、権力側にいる政治家が「改憲法案!」と大手を振って我田引水のごとく国民に生き方や義務を与えるのは、本末転倒、「お門違いの話」なのだ。
こういった、基本理念が官僚、役人の思考からすっぽり抜け落ちてしまっている様な気がしてならない。

今度は国民の目線で考える。
私たちも行き詰った社会の中、「どうも憲法を変えた方がいいんじゃないか」と疑心暗鬼に陥ることもあるかと思う。実際に、憲法に書かれてあることの何%が機能しているのかというと実に怪しい。停滞する政治や社会を憲法改正によって変えようという声が出るのも仕方のないことだ。
「自分で憲法を作ってみたい」。そう思うこと自体は健全であるかと思う。そのときは、今までの歴史とちゃんと向き合うことが大切だ。どんな時代を越えてきて、先人達がどんな思いで憲法を確立させていったかを十分思慮しなければならない。過去の蓄積の上に今が成り立っているのであるから。

私としては、社会の停滞の理由を憲法のせいにしてしまってよいのだろうかという疑問が大きく残る。その憲法を持つ「私たち自身の意識の問題」ではないのか。そう考えてしまうのだ。
憲法について思慮分別するのは構わないが、「分別過ぐれば愚に返る」のだ。せっかく世界が認めた現時点での最良の「憲法」があるのだから無理に変える必要はないだろう。
今必要なことは改憲議論ではなく、国民の生活に平和的生存権と基本的人権の実現を図るように国が努力すべきだということを私たち国民がもっと声をあげて訴えていくことが重要だろう。私たちは自分たちが持っている「権利」をもっと堂々と主張してよいのだから。
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by komei115 | 2012-05-04 19:29 | Miscellany