青い果実の実る頃には

komei115.exblog.jp

項目に分けて日々思ったこと、書きたいことを自由に書いてます。意見、批判するコメントは大歓迎です。個人的な問い合わせはこちらまで。koumeipart115@yahoo.co.jp

ブログトップ

雑文・散文・駄文 その11 教育改革案を巡って 2


前回に続き「留年制度検討」について考えてみたい。

学力低下が叫ばれている現在、学力の底上げとして勉強についていけない生徒は留年させようという計画だ。
現行法の下でも実施することは可能という事で進められているのだが、これも上から目線ではなく、現場、特に子どもたちが「留年」という言葉にどういったレスポンスをとるかということをはじめに考えなければならなかったと思う。

失敗だと言われている「ゆとり教育」教育第一世代である私個人の経験をもとに言わせてもらう。子どもたちは深いことまでは理解できないが、言葉そのものの意味に関しては敏感である。
当時、私は「ゆとり」と聞いて何を思い浮かべたか。土曜日の登校がなくなっただとか、履修範囲が変わって簡単になったくらいにしかとらえていなかった。「休みが増えててラッキー」くらいだ。休みにした本来の目的である家庭教育の強化だったり、地域社会との繋がりなどは全く考えず、休みを有効に使うことがなかった気がする。
大抵の子どもたちがそうだったのではないだろうか。「ゆとり」=楽ができるくらいにしか思わなかったからこそ、ゆとり教育は失敗と言われたのだ。

それで今度は「留年」という言葉である。日本で浸透している留年は、「履修主義」の現行教育に基づく罰則的イメージが強い。言葉だけが独り歩きをし、子どもたちは不安がるに違いない。「ゆとり」とは比べ物にならないくらいの反響があろう。
留年によってクラスメイトと引き離される精神的影響は大人が予想している以上に大きい。もし、留年にでもなったら「できそこない」のレッテルを教師、生徒から貼られてしまう。いじめの対象になることもあろう。また、他人はそこまで思っていなくても、そういった強迫観念みたいなものが子どもたちの中に内在することとなる。
年齢による上下・序列関係の精神(→そこから生まれる学年という名の強固なレール思想)も日本人は大きいと思われる。だからこそ、「留年」という言葉は「レールからはみ出てしまう恐怖」を増幅させる。
学級制度の解体による「クラス・年齢にこだわらない学校の友人関係」の確立も目的として考えられそうだが、それは困難を極めるに違いない。

きっと、海外(特に欧州)での取り組みを参考にしたのだろう。現にオランダでは小中学校の留年制度を導入し、科目単位で多くの生徒が自ら留年を選択し、学力を高めるシステムが構築されている。だが、それは個々の習熟度合いに応じて、科目ごと臨機応変に、教師と生徒、保護者が学ぶ時間を主体的に選択できるようにするという趣旨のもとで行われており、「主体性」が重要視されている。
もともとのお国柄もあるだろうが、それに加えて別に留年を恥じさせないようなシステムが確立してあるからこそ成り立つのである。

一方で橋本氏が提案しているのはカリキュラムに縛られた文部科学省の指導要綱から脱し、勉強し直せる環境を整備するという点でしか検討されていない。子どもたちのケアが不透明な中、そういった建前だけで始めてしまうときっと綻びが出てしまう。それを「自己責任」、「根性論」などで解決されたらたまったものではない。(実際に留年させることで「子どもの奮発性」を求める意見もあるが、これは全ての子には当てはまらない。やる気が起きず、本人が腐ってしまったら元も子もない。この発想は危険である)

これまで否定的に述べてきたが、学力(社会生活や仕事で困らないだけの最低レベルの知識と能力)の向上は必要不可欠であることも確かだ。
本音を言うと(第三者的な上から目線で申し訳ないが)、私も、著しく学習の進度や学力の上昇が遅い生徒に関しては科目ごとの「留年による重点学習」というのも一つの選択としてあってもいいのではないかとは思うし、将来的にはある程度の学力到達度最低ラインを見定めて合格できたら進級できるという(逆に挑戦して飛び級もできるような)仕組みも検討していく必要性はあるだろうと思っている。
だが、そのためには先にも述べたように、留年や再学習が当たり前と思えるだけの社会環境・社会通念の「下地」が必要になるだろうし、留年制による就業上の不利益や社会的な偏見の問題に対してのセーフティーネットをあらかじめ講じておかなければならないだろう。そして前者は長い歴史をかけて方向転換をしていく必要がでてくるし、後者も今の日本社会の現状では難しい。

手段としての「留年」が本当に必要なのかどうか。「極端な学力不足者(不登校者・学業放棄者)の問題点・対処法・比率」を更に突き詰め、子どもたちのの将来のために掘り下げた議論を求める。


―追記―

・「学力・成績だけの競争原理」に陥らずに、社会生活を送るための最低限度の学力はフォローしてあげる(平等)。
そしてそこから先は、生徒ひとりひとりが主体的に考えて選択・行動し、いつでも学べることができる。教師は子ども達のヤル気に対応して性格的・対人的な長所,物事に対する興味関心の広さを伸ばしてあげられるようにする(ある種の差)。これが理想的な義務教育であると考えている。
そうすれば、おのずとリベラルに物事を考えることができ、個性も生まれ、「レール」という概念も消えよう。


・「留年」というのをいきなり出すのはどうかと思うが、慎重になりすぎている感はある。海外などで成功している教育プログラムをもっと検討し、日本版にアレンジして取り入れていくべきだ。そのために試験的にいろんな制度を実施してみることも重要ではないか。「失敗して当然」「とりあえずやってみて、だめなら削除」といった姿勢が欲しい。
[PR]
by komei115 | 2012-05-16 22:40 | Miscellany