青い果実の実る頃には

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小説に魅せられて ~ 葡萄の生る季節には 三一


 食事を済ませると、二人はビールを酌み交わしながらしばらく話をした。キッチンからは、幸恵が朝食の支度と洗い物をする音が聞こえてくる。幹斗はホッとした。雅也の笑顔と、幸恵の家事の音が自分の存在を認めてくれる唯一の救いだと思えた。
 「そういえば、新しい小説の『イントゥ・ザ・ブラックフォレスト』が10万部突破したんだって?難波駅の本屋の店頭にさ、お前の小説が積まれているの見て俺嬉しくなっちゃってさ。思わず置いてあるの全部j買っちゃったよ。店員が不思議そうな目で見てきておもしろかったな」
 「ほんとに?安くもないのにそんなわざわざ買ってくれなくていいよー。頼まれたらいつでも送れるんだからさ。そもそも雅兄に生原をあげて、すでに読んでくれたじゃない」
 「そうだけど、やっぱり俺も高津幹斗の一愛読者として本を買って部屋に飾っておきたいんだよ。自分用に2冊、残りは会社の部下に薦めて全部あげた。まー、薦めたというよりほとんど身内自慢だよな」
雅也は豪快に笑うと、グラスに残った酒を飲み干した。口の周りに付いた薄いホップの泡が白く光っている。
 「まあ、今回本が売れたのは前作の映画化のおかげが大きいけどね」
 「それでもすごいことだろう。内容もさ、今までの感じと一味違うって言うか・・・そう。話はぶっ飛んでるんだけど、何となく気持ちがわかるんだよ。文章もわかりやすいし、俺はこの作品好きだぞ」
 「そっか、ありがとう。俺にとってその感想が何よりも嬉しいよ」
 幹斗もグラスを空にして、続ける。
 「ところでさ、今日のことなんだけど」
 「ああ、わかってる。お前もいろいろと混乱しただろう。だけど、今日はもう遅いし明日ちゃんと話すからそれでいいか?」
 「えっと・・・、うん」
 「さてと。幸恵さーん!風呂沸いたなら悪いけど俺先に入っちゃってもいいかな?」
 「もちろん。準備できてますから。風邪引かないようにちゃんと温まってくださいね」
 幸恵が応える。幹斗は、雅也のそっけない返事に少し呆気にとられてしまった。そして、幸恵に礼を言ってそのまま風呂場へと向かう彼の後姿を見送った。
 確かに・・・今日はいろんなことがありすぎて疲れた。明日聞けばいいか
 幹斗は椅子に凭れたまま天井を見上げると、瞼を閉じた。真っ黒な世界の奥に微かな光が見える。紫にも似たぼんやりとした黒い光。光は常に形を変え、ゆらゆらと宙を漂っている。目で追おうとすると消え、漠然と見るとまた現れる。
 毎日物語を書いてる自分が、誰よりも非日常の世界に戸惑う羽目になるなんてな
 一体自分は今どこにいて、何をしているのか。ふと考えた時、何故だか笑いがこみ上げてきた。
 三人は寝る仕度を整えると、雅也は客間で、幸恵と幹斗は座敷でそれぞれ床に就いた。
 「おやすみなさい」
 真っ暗な部屋の中から、隣の布団に入ったばかりの幸恵が声を掛けてくる。幹斗は疲れていたが眠れそうになかった。雨は未だに耳の中で激しく打ち続けている。不安が募る。心臓の鼓動による振動が、地震と間違うほどに揺れてどうも落ち着かない。夏も近いというのに布団の中はとても冷たかった。
 「あのさ」
 「何?」
 「いや・・・、なんでもない。おやすみ」
 幹斗は幸恵に背を向けるような形で寝返りを打ち、そして自分の不甲斐なさを呪った。
 今日は眠らなくてもいい。それが俺の罰なのだから
 「あなた・・・今日は疲れたでしょう?」
 優しい声が雨に混じって聞こえてくる。卑しくも、幸恵から発せられる言葉をどこか期待していた自分がいた。
 「ああ、疲れたな。お前も今日はいろいろとごめんな」
 「いいのよ・・・。ねえ、こっちで一緒に寝る?」
 布団の端を上げる音が聞こえる。
 幹斗は自分の場所から這い出すと、幸恵の寝る布団の中に潜り込んだ。そして彼女の左側に体を密着させ、その大きくて柔らかい左の乳房の上に頭を乗せる。
 少し熱を帯びていた幸恵の体は、安心できる温かさがあった。
 同時に、雨の音が少しずつ遠のいていくのがわかった。幸恵のゆったりとした心臓の鼓動が心地よく耳を打つ。幹斗の心臓は、正確なメトロノームのリズムに合わせるかのように調子を取り戻していった。
 いつ以来だろうか。こうやって幸恵の柔らかな温もりに触れたのは
 考えていると幸恵が体勢を横にし、細い腕を幹斗の首筋に回して彼の頭を胸に抱きかかえる。
 「ちょっと暑苦しいかな?」
 「いや、大丈夫だよ」
 「そう。おやすみ」
 幹斗は身体の緊張を解き、幸恵に全てを委ねるようにして目を閉じた。時折優しく撫でられる後頭部が気持ちよく、潮が満ちるようにゆっくりと眠気を呼んで来た。
 いつの間にか、幹斗は深い眠りに就いていた。
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by komei115 | 2012-05-24 23:32