青い果実の実る頃には

komei115.exblog.jp

項目に分けて日々思ったこと、書きたいことを自由に書いてます。意見、批判するコメントは大歓迎です。個人的な問い合わせはこちらまで。koumeipart115@yahoo.co.jp

ブログトップ

自然との共存 1 ~「ふるさと」について考えてみる~

われら、この地上にありて生きる限り、歓びより歓びへと導くは自然の恩恵なり 
                                            
                                          -ワーズワースー

新たなカテゴリーNatureを加え、自然についていろんな角度から考えてみます。
近いうちに以前の自然ネタもこちらのカテゴリーに移していく予定です。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


うさぎ追いし かの山
小ぶなつりし かの川
夢は今も めぐりて
わすれがたき ふるさと

唱歌「ふるさと」の一節だ。
あなたは「ふるさと」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。
永遠に続く階段、坂道。古い公民館。祖父や祖母に手を引かれて歩いた商店街やアーケード。スケート場。夏の縁日の稲荷神社や友達と駄菓子を食べながらかくれんぼした山澄神社。木造だった頃の佐世保駅。釣りに出かけた池や海。友人とカブトムシを捕りに行った烏帽子岳。途中にあった滝で西瓜を冷やして水遊びしたこともあったっけ。
目を閉じて思い浮かべると「そういや今と違ってあんなのがあったな~」と懐かしくなってくる。
道路や建物は今より大分汚かったけど、街は活気があり、山の緑や海の青が映え、自然と共存できた古き良き港町だった。

さて、この「ふるさと」という歌だが、今の小学校学習指導要領で「共通教材」」とされている6年生の文部省唱歌に指定されている。
しかし、うさぎを山で追ったり、小ぶなを川で釣ったりという風景をイメージできない子どもたちは多い。今と昔で「ふるさと」のイメージにだいぶズレがあることは確かだ。
そんな中、「ふるさと」の歌詞の続きを作ろうという試みが首都大学東京の授業と母校私立麻布高校の授業で行われている。まず、「ふるさと」の歌詞から読み取れる日本の風景を挙げ、他の唱歌の詞を季節や道徳、日常などに分類する。さらに、森山直太郎の「さくら」など現代の歌が、今の日本をどう表現しているかを確認していく。それをもとに歌詞づくりに取り組む。
21世紀の日本のイメージを探るのが狙いだが、子どもたちが描くのは、ビルが林立し、ネットで繋がり合う情景ばかりだ。「ふるさと」は「春の小川」や「虫のこえ」などの季節を歌った唱歌と異なり、普遍的で牧歌的な故郷のイメージを描いている歌なだけに、歌の原風景は遥か彼方まで遠ざかっている。

麻布高校の生徒がつくった「ふるさと」の続きをいくつか紹介したい。

都会色に 染められ
身も心も モノクロ
人の波に のまれて
どこに行った ふるさと

メールします 今どこ
つぶやきます 家なう
各地に広がる ネットワーク
つながり合う ふるさと

混む電車で 出勤
夜遅くに 残業
ただひたすら 働いて
先の見えぬ ふるさと


お先真っ暗な「ふるさと」ばかりが並んでいる。
普遍的な自然の情景だった歌の面影がまるでない。
「ふるさと」をほとんど知らない現代の都会の子ども達が、今の社会を痛烈に皮肉るとは。
やはり、人間は本能的に自然のある「ふるさと」を求めているのだろうか。

これらの「ふるさと」を聞いてピンと来るものがある。
皮肉を含む替え歌で、私が一番印象に残っている歌だ。


コンクリート・ロード どこまでも 森を切り 谷を埋め 
West Tokyo Mt. Tama ふるさとは コンクリート・ロード♪

b0215567_2050336.jpg


ちょっと珍しい画像に驚く人もいるかと思うが、私の大好きなジブリ映画の一つ「耳をすませば」は、1995年7月15日公開された、近藤喜文監督の「最初で最後の監督作品」である。
物話は雫と聖司による恋の青春群像劇であるが、中学3年生の雫が書いたこの皮肉たっぷりな「コンクリート・ロード」は的を得過ぎていて笑えない。
本作の背景美術は東京都多摩市と同武蔵野市を中心として描かれており、実際の街並みなどは主に東京都を走る京王線沿線の聖蹟桜ヶ丘駅周辺をモチーフとしている。
冒頭、「TAKE ME HOME COUNTRY ROADS」が流れる時、バックの背景には多摩地方から都心を望む夜景が映る。実はこの夜景、「平成狸合戦ぽんぽこ」のエンドロール最後のシーンでもある。狸が住みかを奪われた多摩、その多摩ニュータウンに雫と聖司は住んでいるという繋がりもあって面白い。

「平成狸合戦ぽんぽこ」で多摩の森が奪われ、コンクリート・ロードになってしまった「耳をすませば」の1995年の西東京の「ふるさと」の風景が物語るものは大きい。
そこから15年以上が過ぎた今も、自然やそこに住む生物を無視したコンクリート社会が形成され続けている。このまま見過ごしていいのであろうか。人は無意識の中で都市に疲弊し、本能的に自然を求めている。
少し不便でも、少し汚くても、トトロの森に住むサツキとメイの生活を「ふるさと」だと感じ、憧れを抱く人は多い。
b0215567_2210813.jpg


「昔に戻れ」とは言わない。それは懐古主義であり、そこから発展は望めないからだ。
私は「昔を知れ」と言いたい。温故知新。常に新しさとは古きものから生み出される。
昔から自然と共存して生きてきた人間の生活を見つめ直し、自然と共存できる新たな街づくりをしていかなければならない。自然環境や人の心身に良い街づくりには整理が必要だ。良いものや必要なもの、伝統あるものは残し、不要なものや危険なものとはすっぱり手を切り、処分する。そのための科学技術こそが人間の英知の結晶であるといいたい。


話は変わり、先日の新聞で良い記事を見つけた。広島県福山市の鞆の浦架橋撤回という話だ。
万葉集にも詠まれる広島県福山市の鞆(とも)の浦は、瀬戸内海に面した景勝地だ。アニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台とされ、宮崎駿監督が2カ月滞在して構想を練った場所でもある。

b0215567_22435955.gif


b0215567_22442784.jpg




鞆の浦地区は車の離合が困難なほど道路が狭く、高齢化や人口減も進んでいる。地域活性化を目指して県が架橋計画を発表したのは、約30年前に遡る話だ。この間、地元では賛否をめぐる対立が続き、結果的に下水道や防災など生活インフラ整備が遅れた。架橋建設を求める声は、福山市をはじめ住民の間には根強く残っていた。
その鞆の浦の埋め立て架橋事業をめぐり、反対派住民らが計画阻止のため起こした訴訟で、広島地裁が公共事業にストップをかける判断を下したのは2009年10月のこと。当時の判決は、鞆の浦の景観を歴史的、文化的に価値がある「国民の財産」と評価して住民の景観利益を認めた画期的な判決と言われた。それに対し、広島県は判決を不服として控訴していた。
あれから約2年8カ月、県が大きな決断を下した。湯崎英彦知事は、現行計画を撤回して景観への影響が小さい山側にトンネルを整備するという方針に変えた。知事は「埋め立て架橋では景観を元に戻すことが不可能になる。トンネルは生活の利便性と景観保全を両立でき、住民ニーズを最もバランス良く満たす」と説明。
一審判決が計画撤回のかじ取りになったことは言うまでもない。
公共工事はとかく、「一度決めたら止まらない」といわれる。それでも、県が当初方針にこだわらず、反対派と推進派双方の接点を探りながら、現実的な対応をした点は称賛に値する。中でも注目したいのは、県の控訴後に就任した湯崎知事が「住民ニーズを探りたい」として推進派と反対派の住民による協議会を10年5月に設置し、双方の意見を聞きながら判断に至ったという点だ。
協議会は今年1月までに計19回開かれ、県の架橋案のほか、地区中心部を迂回(うかい)する山側トンネルや海底トンネルなど計5案を示し、住民意見を集約。そして導き出されたのが、中心部の混雑解消を図る道路整備と、景観保全との両立を望む点では共通する、との結論だった。住民の願いをかなえるために選んだのが山側トンネル案であった。

景観論争では、どうしても開発か保全かの二項対立に陥りがちである。両方の声を生かす道を探ることこそが重要であると考えさせられる良い例だ。地元民の声を丁寧に拾い、その結果として進められる事業の責務を背負うのが、行政機関の本来の役割だろう。県が計画当初段階から景観を保ちながら利便性を高める努力をしていれば、話はここまでこじれなかったはずだ。
これは広島県だけの問題ではなく、日本国全土に言える問題だ。
05年の景観法施行後、九州各地でも街の風情や自然景観を守る動きが高まっている。
多様な選択肢を示したい。見直すべきものは見直し、色々な視点から議論を掘り下げていく。
今回の事例は、「ふるさと」を守りたいと願う他の自治体にとっても大いに参考になるはずである。
[PR]
by komei115 | 2012-06-28 23:01 | Nature&Science