青い果実の実る頃には

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雑文・散文・駄文 その35 すみません。やっぱり・・・

書かずには寝られませんでした。


今まで、ブログで散々自分の主張を言ってきた割に、どれもこれもパッとせず、伝聞で作り上げられた机上の空論でしかなかった。私が私らしく私なりに主張するにはどうすれば。それは結局は自分の五感で感じ取るしかない。だから、自分の足を使って、自分の目で見たものを書く必要性を強く感じた。

そこで13日金曜日の国会議事堂前のデモを見に行ってみようと思い至った。しかし、いざ行ってみると、南北線の電車の中で葛藤。「私は人から過激派と見られるのだろうか」「計画的でないのに参加すべきなのか」という疑問が浮かぶ。脱原発のために行く。じゃあ自分は徹底した節電、エコライフを送っている自信はあるのか。脱原発だけ訴えて、他の環境破壊や問題は訴えないのか。それはただ他者と共感し繋がりたいだけの自己満足ではないのか。そう思うと、他の人に比べて自分は中途半端な気持ちで臨んでないかと急に不安になり、いざ国会議事堂を出た直後の警察の規制や溢れんばかりの人の多さに圧倒され、恥ずかしながらすぐさま引き返してしまった。自分は自分の弱さに、そしてあれこれ理由を並べ挙げて自分の撤退を正当化しようとする自分の卑怯さに負けてしまったのだ。

それでもやっぱり参加したいと思ったのは坂本龍一さんの発言による部分が大きい。「数回デモをしたところで政府に届くかと言ったら届かない。長い闘いになる。それでも、私たちは声を上げ続けることが必要なのだ」と。マイノリティだとか、アウトサイダーだとか、人の視線とか、思想だとか、論理的な発言だとか、そんなのは関係ではない。とりあえず自分の深いところで「これはダメだ」と思ったらまず声を上げる必要があるし、上げていいんだと。どうこう考える前に現場を見に行く。自己満足で良いじゃないか。そう解釈したとたん胸がすうっと楽になった。16日の集会はもっと素直な、純粋な気持ちで臨んでみようと思った。

さて、そして来る16日。それでも原宿駅に着いた途端人や幟で溢れかえっているのを見ると、個人参加である自分はやはりすぐにその空気に飲まれ、小心者の心臓がMAXにビートを刻み始める。「テレビカメラにだけは映りませんように」と意味不明なお祈りをして歩く。

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老若男女どこまでも人、人、人の山。そして、様々な個性ある色の旗や幟や横断幕が風にはためき、日差しで鮮やかに景色を彩っている。道端にはまるでお祭りかのように露店が並び、昼食をとっている人も多かった。公園内に入っても人が密集し、犇めき合っている。野外ライブも行われていた。これはTDLやライブやスポーツ観戦で群がる人数の比じゃない。本当にこれが警視庁調べで言う1万数千人の数か?と疑問に思う。代々木公園の広さから考えてこの数は10万を軽く超しているだろうと予想した。
集会も凄まじかった。人のエネルギーが一つに集まり、その中での大江健三郎氏、坂本龍一氏などの演説がテレビで聞くよりぐっと心に沁み入ってくる。特に「週刊金曜日」の編集者でもある落合恵子さんの訴えの時には感極まって涙をこぼしてしまった程だ。「あっ、まだこの国にも希望ってこんなにあるんだな」「自分が震災の時に感じたあの虚脱感や絶望感をこんなにも掬い取って、代弁してくれる人がいたんだな」と様々な思いが蓋を開けたように溢れだした。
この時点で自分の目で見て、空気を肌で感じることの大切さを痛感した。伝聞は所詮伝聞でしかないのだ。こうなったら自分なりに人と話してみようといろいろ伺った。

これまで「デモ」と言ったら政治思想を持った過激派達(一部だが)の活動という印象が強かった。しかし、ここ最近の「デモ」の動きに新たなうねりを感じてならない。
実際に聞いてみたところ、ホントに全国各地から飛んできている人が多く、それだけいろんな団体も多いのだが、自分でプラカード作って「個人で来た」、ベビーカーや子どもの手を引いて「家族で来た」という方も多かった。帰りに行きつけのカフェに寄った時も、たまたま他の客とデモについて話す機会があると「私は29日に行くよ」とか、「家族で参加するつもりだよ」とか結構ラフな感じでみんながデモを語るのだ。
もう一点。個人ではスマートフォンやipadでツイッターやフェイスブックなどSNSを利用して情報を知って来た方が大半だった。確実に情報化に伴って「デモの大衆化・個人化」が起きている。

団体と個人の違いは、デモ行進の時にそれが顕著に出た。団体は車道、個人参加の人はガードレールを一本隔てて歩道を歩くのが目立った。「入らないんですか?」と聞くと「別にどの団体に所属してるわけじゃないし、一緒に歩くことはちょっと。でも、参加したからには歩きたいよね」との返事をもらった。まさに自分が心に思っていたことを言い当てられたと思った。私も、車道と歩道どちらを歩こうか迷った結果、何となく歩道を取っていたからだ。

デモは団体の物だけのものではなくなり、「モノ言う個人」のものとしても機能し始めている。これは良い傾向ではないだろうか。もっと個人が自由に、「この制度や問題には反対だ。今度デモがあるみたいだからちょっと混ざろうか」くらいの気持ちで臨む方がかえって純粋な活動を起こせる気がする。原発問題という国中が恐怖し、現時点での国民の死活問題だけに今回集まった人が大半だろうが、これを機に「団体ではなく個人の意思で」参加し、そこで自由に発信することで新たな人と繋がってまた自分の視野が開ける。そんな「小さな物語」を作っていくことが自身の豊かさ、希望に繋がっていくのではないだろうか。
私は、今後ともデモを、草の根運動を続ける人たちを見届けるとともに、個人としても参加・発信していこうと思う。
とりあえず、興味があるのはこの16日を受けて今週金曜日のデモがどういった姿を見せるのかということ。また増えるのだろうか。今日は各メディアで大々的に放送もされるとともに、また電力会社の国のエネルギーに関する聴取会問題についても報じられていた。
そして、この情報化による新たなデモの形の広まりが今後政府にどうやって届くのか、また届かないのか。
この目で見たい。
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by komei115 | 2012-07-17 01:17 | Miscellany