青い果実の実る頃には

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読書から学ぶもの ~森見登美彦を読む~

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インテリ・陰湿・学生・京都・モラトリアム・バカ。こういった小説を読みたいなら森見作品が良いかもしれない。独特の文章と物語の展開にはついつい引き込まれる




私は以前から森見氏の初期の作品である『四畳半神話体系』と『夜は短し歩けよ乙女』の二作品を持っていたが、結局読まずじまいで数年そのままにしていた。
理由は、独特の文体にある。私はどうしても、その二作品の文体を受け入れることはできなかった。小難しく書かれて読みづらく、高飛車な語り口の割にはやってることが馬鹿っぽくて辟易し、数ページで挫折してしまった。それをまた読みだすきっかけを与えてくれたのは『四畳半~』のアニメであった。

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以前フジテレビのノイタミナで放送していたという同アニメを偶然観る機会があったのだが、これが非常に面白かった。各話それぞれが主人公の「パラレルワールド」として独立していて、歯切れが良く物語は進み、それが回を重ねていくうちに繋がっていく。観ていて飽きず、さらっと全話を一気に観終わったときには何とも言えない心地良さが胸に広がった。
こうして読書の方へと足を伸ばしたわけであるが、小説の方も思っていたほど文章への拒絶感は薄れ、なかなかに面白かった。読まず嫌いとはまさにこのことを言うのであろう。

アニメでは11話の放送であったため、11の異なる物語があったが、小説では4つの物語から構成されている。それぞれが、「大学の入学式のあの時、あの道を選んでいれば」という主人公の「私」が思い描くことでパラレルワールドを形成し、それぞれで生活を営む「私」であることを本人は気がついていない。
「あの時こうしていれば・・・」といって過去にタイムスリップするようなSFファンタジーならよくあるし、現実世界
の私たちも後悔し、やり直したいと思うことは日常茶飯事であることだろう。しかし、この作品で一つ特徴的なのが「私」の行為に関する後悔ではなく、その後悔をつくった原因である小津という男が全て悪いのだと胸を張って言いきっているということだ。内外ともに妖怪のような面容をしたその男に振り回されることで主人公の「私」はひたすら彼を加害者で、自分を被害者であると決めつけている。
その結果どうなるか。ここがこの話の醍醐味である『四畳半主義者』という最終章に繋がっていく。この話は自室の四畳半から外に抜け出すことができず、約半年に渡って無限に続く四畳半の海をロビンソン・クルーソーさながらに冒険していく。なんとも間抜けな話ではあると思うが、なんとも恐ろしい話である。人と関係を持つことに冷めていて、人付き合いに面倒になった主人公の「私」は初め、この四畳半の世界を自分の王国にしようと考えた。しかし、四畳半の大海原で暮らし始めて数か月、そこで初めて温かいご飯や定期に浴びに行く銭湯、行きつけの古本屋、かったるい大学の講義が大切な時間であったことに気付き、自分の数少ない交友関係の人たちを恋しく思うようになっていた。そして、この変わり映えのしなさそうな四畳半が、部屋を移る度に実は少しずつ変化していて、パラレルワールドの自室であることに気がつく。全ては可能性として存在していた数々の自分の部屋だったのだ。それぞれの道を進んだ「私」たちは、思っていたよりも大きな変化がなく、いいように収まっていたことに「私」は愕然とする。自分は無限の可能性に溢れているという思いとは裏腹に、限られた知人と交際し、限られた学生生活を送り、限られた日常を過ごすことしかできなかったことに。
それはどこまでも無限にあるという可能性の魅力と、その言葉の幻想に取りつかれてしまった主人公の末路を表すものであった。ここで、私たちは努力もせずに「可能性」というあてにならないものに望みを託すことがいかに愚かで、破滅の行為なのかを思い知らされることになる。「あの時こうして」いても、その時の私は努力なんてしないし、結果的に今と似たり寄ったりの生活を送っているのだ。どんなに物事を変えようとしても、私は私でしかないのだから。
私たちはいつだって可能性ではなく、不可能性から自身を規定し、物事を見据える必要がある。夢や将来といったものもまずはこの不可能性というフィルターを通してからではないと現実世界での破滅の一途を歩むことになろう。己を知り、己を認めることが大事である。
そして、私たちは一人では生きていけない。食糧があろうと、金があろうと。誰しも、誰かがいることで自分という存在が初めて認められるのだ。だからこそ「書を捨て街に出よ」ではないが、人と接することが人として生きていく上で一番大切な行いとなる。物語のラストで一番嫌っていて、一番頼っていた悪友の小津を助けに裸一貫で橋へと駆けだす「私」の姿には感動する。この物語が初めて救われた瞬間である。


次に、『夜は短し~』を紹介したい。
これは、TVドラマ化や舞台も行われたそうだが、私は残念ながら観ていない。
小説はというと、一組の男女が交互に物語を紡いでいく面白さがあり、それがどことなく繋がっていてるから面白い。『四畳半~』に負けないテンポの良さもある。それでいて、同小説の登場人物の大半がこの物語にも登場し、事件を大きくしていくから面白い。まるで、『四畳半~』のまた一つのパラレルワールドのようにも映る。
インテリだが、もはやストーカーと化した「先輩」と世間知らずだが好奇心旺盛で人が良い「私」が、京都の珍妙な出来事に巻き込まれていく。『四畳半~』よりややパンチはないが、それでもちょっとした奇跡の物語には心踊らされる。


この二作品を見ただけで、森見氏の文の面白さ、構造の巧みさは他小説を凌駕している。非常に独特で癖のある文体だけにホントにクセになってしまいそうである。当初文体が気に食わないとしまいっ放しになっていた両作品であるが、読めて良かった。
彼の他の小説も気になるところだ。例えば近年の『ペンギン・ハイウェイ』や『聖なる怠け者の冒険』といった作品はまた趣が違うらしい。どういった小説に仕上がっているのか一読の価値はある。これは古いが、『新釈 走れメロス 他四篇』も彼の目線で描かれる日本文学作品がどうなっているかも面白そうである。
少し出遅れはしたが、彼の作品には注目していきたい。
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by komei115 | 2012-09-18 22:50 | Reading&Music