青い果実の実る頃には

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読書から学ぶもの ~イワン・イリイチの死~

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イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ 
トルストイ著/望月哲男訳 2006年初版発行 光文社古典新訳文庫


死とは?生とは?自らの死生観をも揺さぶられるトルストイの珠玉の一遍




黒澤明監督の『生きる』という映画が好きだ。転々と私の中の好きな映画ランキングが入れ替わる中、常にベスト3に挙げられる。

その『生きる』だが、この作品は黒澤監督がトルストイの『イワン・イリイチの死』という作品から発想を得たのだと語られている。
「へえ、そうなんだ」と思うが、それ以上のことを私は知らなかった。トルストイと聞くと、これまで『戦争と平和』を映画で見たぐらいでほとんど知らなかったし、小説家というよりも思想家としてのイメージの方が強かった。それほどに私は無知だったのだ。
こうなったら一度はトルストイの小説を読んでやろうと思い至り、この本を手に取った。『クロイツェル・ソナタ』は次回にとっておき、今回は『イワン・イリイチの死』だけについて述べたい。

本作に描かれているのは19世紀ロシアの一裁判官の死だ。主人公であるイワンは判事の仕事を事務的に行い、その中の地位争いにだけ情熱を注いできた。地位、金銭、博打。これらの現世的な価値にのみイワンは快楽を示していく。しかし、些細な事故をきっかけに病にかかり、衰弱し、死へと向かっていく。ただ、これだけの出来事なのに、トルストイは倒叙法を巧みに利用することで、物語を豊潤なものへと仕上げている。つまり、初めにイワンの死と葬儀という「その後」を描き、そこから改めて彼の生い立ちから死までを辿っていく構成をとることで、初めは他人という客観的な目線での楽観的死を、そこから死に直面した本人の主観的目線での死を描き上げているのだ。また、空間や時間の全てが死という一点に向かって密度濃く凝縮しながら邁進していく。それは、恐怖を呼ぶようなまでのスピードとなって一気に加速していく。こうして、二面的な角度から死を捉えていくアプローチとそこに向かうまでの力強い描写は実にユニークであり、読者を退屈させずに深みへと誘う小説であるといえるだろう。

死、そして生に関する考え、つまり死生観について、トルストイの考えは古臭くなく、普遍的である。だからこそ、今読んでも違和感などはなかったし、これからいつの時代にどこの文化圏で読まれても、全く色褪せることはないだろうと断言できる。
病を自覚したイワンの態度は死ぬまでの間に、不安、恐れ、拒絶、怒り、戦い、取引、絶望、鬱、受容という心理的プロセスを踏んでいくが、その描写は極めて真実らしく見える。イワンは共同体に属す社会的個人として享受された他人との認識や価値観の共有と未来における安定した生活の保証という生活から、一転して誰も助けてくれない孤独で、未来も失われた奈落の底へと落ちていくように死を経験する。そうなると、死を考える際に楽観的に無味乾燥した三段論法を唱えたってまるで意味がない。ただただ、恐怖と絶望の重圧に耐え続けるために、かけがえのない自分が失われることの意味をゼロから考え、自問自答せざるを得ないのだ。
しかし、ここで物語として救われる部分がある。それはイワン自身の死の受容という精神的な覚醒だ。これまでの日常生活のなかにあった様々な価値が死によって二極化し、世俗的快楽が愛ややさしさ、まごころといった精神的価値によって相対化されていく。そして、これまで精神的なかかわりを避けようとして機械のように事務的に生活し、病に罹ったことで他人を信用せず罵倒していたイワンが死の間際における周囲への気遣い、思いやりを見せる。むなしいだけの生を送ってきたことに気付き、最後の一瞬だけでも他人との精神の交流を試みたイワンがいたことでイワンと同時に自身の心も回心され浄化していく。

さて、死とは何だろうか。実存主義を唱えたハイデカーを参考にすると、死とは代理不可能な経験であり、他者との断絶孤独な経験であり、誰にでも訪れる経験である。そしてまた、未知で未決定で、絶対的な可能性もそこには存在する。
私たちがその死を乗り越えるためには、限られた時間を徹底的に生きることと死を想像することだ。そのためには今の価値を見直し、自身のために必要かどうか問い直す必要があるだろうし、常に死と隣り合わせであるということを自覚する必要があろう。
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by komei115 | 2012-10-23 23:04 | Reading&Music