青い果実の実る頃には

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雑文・散文・駄文 その38  信じていれば~ きっと伝わる~♪

この歌詞をもう何度聞いたことだろうか。
朝の連続テレビドラマシリーズ『純と愛』が始まって、今日でもう36回目を迎える。

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一時間ドラマだったらもう9話目が終わっている。1クールものなら物語は終盤に向けての大きな山を登り始めるところといったところだろうか。
さて、この物語は今日の回を持ってしてようやく長き序章が終わり、物語の本編が始まろうとしている。では、これまでの回は面白くなかったか?いや、決してそんなことはない。現に、私は生まれて初めて朝の連続テレビドラマを36回一話も欠かすことなく見ているのだから。この「観たい」と思わせるエネルギーはどこからくるのであろうか。

これまでの作品と見比べると、この作品は「特殊」な部類に入るといってよい。少々、だが確実に常軌を逸していよう。
誰が見ても話が「ぶっ飛んで」おり、人を朝から平気で不愉快な思いにさせることもある。物語の向かう終着点の場所が一向に見えてこず、着地点の予想をつけることができない私たちは観ていていくらか不安になってくる。

この2点の要因により、この作品に対する評価は真っ二つに分れるはずだ。「わけわからんから切ろう」と「わけわからんからもう少しだけ見届けよう」とに。
私は後者だった。「もう一話だけ」「もう一話だけ」。それがズルズルと36回見続けているわけだ。そして、気が付いた時にはすっかりこの作品にハマってしまっていた。
なにより役者の演技が皆ものすごい。だれもかれも、その変わった登場人物を貫き通している。特に愛(いとし)役の風間君の演技は誰よりも光っている。
撮影陣も変わっている。「これはカットでしょ」と言う程、台詞を噛んだり言葉足らずになったりしてるのにもかかわらず平気でそれを使っている。しかし、それがさらに素を出せていて登場人物たらしめている。もしかしたら、台本は細部まで設定していないでアドリブもちょこちょこ入れているのかもしれない。

ぶっ飛んではいるが、フィクションもここまでやられると、寧ろこの世界の方が「リアル」なんじゃないかと思えてきたりもする。愛(いとし)の目に映る社会は汚く、暗く、不透明で、絶望的だ。しかし、これこそが今私たちが生きている社会そのものなのではないだろうかと。
人は誰もが無意識のうちにものさしを使っている。自分の利となるか害となるか。そして他人を疑い、蔑み、差別する。フィルターをかけてものを見てしまうのだ。一方でまた、自分を相手に見せる時もたいていフィルターを通している。本音を言わず、自分を隠して。自分と相手の間にフィルターを取り除くことはなかなかに至難の業だ。
人間だからフィルターがあるのは仕方のないことなのかもしれない。義理も人情も薄れてしまった現代は(私はその時代しか知らないし、一概に昔と比べるのも良くないが)なおさら社会の風当たりがきつかろう。しかし、それでもそのフィルターを取っ払って正面から向き合え、ぶつかり合える人間が一人でもいたらなんと素晴らしいことだろうと思う。

『純と愛』は、まさにそれを気付かせてくれる現代の大きな病に対する処方箋である。二人はお互いに迷い、悩みながらも信じ、伝えあう。「相手を愛して信じる」。それは、「自分を愛して信じる」ことでもある。
この混沌とした世の中でしたたかに生きていくために必要なのは誰かを純に愛することであるとこの物語は訴える。そして、それを信じる二人の行く末が、二人の未来が今後は加速しながら展開されていくことになろう。
このドラマからはますます目が離せない。
by komei115 | 2012-11-10 20:02 | Miscellany