青い果実の実る頃には

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2012年 02月 27日 ( 1 )


 改札を抜け、構内から外に出ると、脳が揺さぶられる程の強烈な匂いが襲ってきた。
 それは勝沼の夏の訪れを知らせる匂いだった。盆地特有の内陸性気候による暑く、乾いた大地の匂い。そして、仄かに香る葡萄の甘い匂い。景色だけでなく、匂いまでもがあの頃そのままに漂っている。
 右を見ると葡萄棚があり、蔦が活き活きと柱に巻き付き、生い茂っている。そこから開花、結実を終えた葡萄の実が小さく緑色に生って垂れていた。小さなスペースとはいえ、よく手入れが施されている。正面遠くの方に目を移す。薄暗くて確認は難しいが、一面葡萄棚が広がるぶどうの丘がある。今も栽培を続けているのなら清太郎の葡萄棚もあの一帯にあるはずだ。きっと、この駅の棚に実る葡萄のようにこれから実を太らせていくのだろう。
 幹斗は白昼夢を見ているかのようにぼんやりとコンコース一体を見渡していると、一台のタクシーが目の前に止まった。助手席の窓き、
 「乗りますか?」
 の一言に我に返り、慌てて乗車した。行き先の勝沼病院の名を告げるとシートに深く身を沈め、幸恵にメールを打つ。
 『今駅に着いた。これからタクシーで向かう』
 送信されたのを確認し、やることがなくなると不安が募ってくる。ふと、車内から音楽が流れていることに気付く。運転手の趣味だろうか、静かだが、とても力強いブルースだ。すぐに Tom Waits の Tom Traubert's Blues だということがわかった。
 「音楽お好きなんですか?」
 「あっ、すみません。五月蠅かったですか?」
 「いえ、私も好きなんですよ。 Tom Waits」
 「ああ、そうでしたか。そんなに有名なんですか?恥ずかしながら、私は最近知って聞くようになったもんだから」
 「ええ、有名ですよ。しかし、洋楽なんで日本では知らない人も多いかもしれませんが」
 「そうなんですか。いえね、このトム・ウェイツってのは息子の影響なんですよ。今、高校生なんですけどね、どこで知ったのやら、突然息子の部屋から今まで聞いたこともないような音楽と渋いしゃがれた声が聞こえてきまして。グレープフルーツ・ムーンって言うんですかね。ええ、その曲が何とも言えない程心地よく耳に響いたんですよ。それからいつの間にか自分で集めるようになっていましたね。といっても、まだCD3枚程度しか持っていませんが」
 「息子さんとは仲が良いんですか?」
 「どうなんでしょうか、今も反撥し合ってばかりで。それでも、最近は口を開くようにはなりましたかね、お互いに。それまで私は思春期だからとどこか諦めていたんです。認めることも、認められることも。あいつが何を考えているかわからなかったし、わかりたくもなかったんです。でもね、息子が聴いている音楽を自分も聞いたとき、分厚いと思っていた壁が案外薄いんじゃないかと思えるようになったんですよ。あいつの興味を引くもの、求めるカッコよさ、不安や悩んでいることなんかがこの音楽に乗って届いた気がしたんですよね。
 あー、あいつはもしかしたらこんなことを考えているんじゃないかってね。なんとなくですし、間違っていたのかもしれませんけど、心が洗われたような気持でしたよ。
 そして、気がついた時には息子の部屋を久し振りにノックしていました。不機嫌そうにドアを開けた息子に、
 この音楽何て言うんだ?父さんにも教えてくれないか
 と言ったら、一瞬息子も晴れたような驚いた表情を浮かべて、
 Tom Waits
 とだけ、ぶっきらぼうに言って閉められました。
 その翌日、私が仕事から戻ってくるとリビングのテーブルの上に一枚のCDがポンと置いてあったんです。それはトム・ウェイツのCDだったんですよ」
 フロントミラー越しに笑みが零れているのが見える。さぞかし嬉しかったのだろう。
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by komei115 | 2012-02-27 19:26