青い果実の実る頃には

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2012年 03月 05日 ( 1 )


 気付けば勝沼病院前の道に出ていた。運転手に「中まで入りましょうか?」と言われたが、ここの道沿いで良いと告げ、「これからも息子さんと仲良くしてあげて下さい」と言って支払いを済ませると車外に出た。
懐かしい勝沼病院。病気にかかるとよくここで世話になった。目の前のガラガラに空いている駐車場に見慣れたフォルクスワーゲンの赤いミニバンが停まっている。ちょうど外灯のある柱のそばに停められており、柱から垂れたライトの暖色の光が当たっていつもより濃く、ワインレッドのような赤みを帯びている。車内は暗いが、人が乗っている。シルエットで幸恵だとわかる。近づいていくと、途中で幹斗の姿に気付いたようで、窓を開けて「あなた、車に乗って!」と声を張った。
 訳も分からず助手席に乗り込むと、幸恵は何も言わずにエンジンをかけてすぐに移動し始めた。左にウインカーを出してハンドルを切り、病院を出たところで話し始める。
 「ちょうど良かった。今あなたに連絡しようとしていたところだったの。私もさっき着いたんだけど、病院に確認したら搬送されていなかったの。きっとお義母さん、慌てていてここだと思い込んでたのよ。家には誰もいないし、携帯も繋がらないし。病院の人に連絡付けてもらったら塩山病院の方にいたわ。詳しいことは聞いていないけど、どうやら脳卒中だったらしいの。でも手術を受けたみたいで、さっき無事に終わったそうよ。」
 「・・・そう」
 「ノウソッチュウ」という言葉の響きに実感がまるで湧かなかった。ナントカという手術をして、無事に助かったんだろ。もう心配することはないんだろ。なら、それでいいじゃないか。
 大丈夫なら引き返そう
 という言葉が喉元まで出かかったが、そこから先はため息となって擦れて出た。前を見て運転する幸恵の横顔をみていると、自分の心の中が全て読まれているような気がする。そして、それでも何も言わずに、何も聞かずに躊躇なく目的地へと向かう彼女の姿は幹斗にその言葉を言わせないような佇まいをしていた。今の彼女にはどうやったって勝てないと思ったが、すぐに前から彼女の方が一枚上手だったじゃないかと思い直す。
それにしても、果たしてどこまで経緯を知っているのだろうか。いつから知っていたのだろうか。両親とはどこまでの仲なのだろうか。家には誰もいなかったって、まさか家の場所を知っているのか。いや、そんなはずは・・・。一度家に寄ってまたここに戻ってくるのは手間だ。そうだ、きっと電話で判断したのだろう。だけど・・・。ところで幸恵は怒っていないのか。なんで問いただしたりしないんだろうか。
 唯一自分にも解るのは話の出所がきっと雅兄であるということだけ・・・。
 ぐるぐると持っていた携帯を手の中で転がし、ぐるぐると疑問と不安が頭の中で巡る。目の前に吐き出された透明な言葉を含んだ息の塊は、微かにまだ胃の中の匂いを漂わせていた。
 「何か飲み物はない?」
 「温かいけどコーヒーを入れて持ってきたわ。後ろの私のバッグの中にマグがあるから取って」
 上半身を反転させ後ろに手を伸ばし、手探りでバッグの中からマグボトルを取り出した。開けると、湯気とともに炒った豆の芳醇な香りが鼻を刺激する。幸恵の淹れる珈琲は本格的だ。「科学的で面白そうだ」と幹斗が趣味で買ったサイフォンセットが今では幸恵の所有物になっている。彼女は朝、夕、飲み会後には必ず出せるように珈琲を淹れる。愛情込めて豆を挽き、そこから抽出された黒い液体は、店で飲むのよりもおいしく、落ち着く。
 「少しは落ち着いた?」
 見透かしたように頬笑みを浮かべながら尋ねる幸恵は母親そのものの様な気がした。
 「ああ、少し熱いけど」
 「ふふっ」
 これから先もきっと彼女には頭が上がらないだろう。拗ねた子供のように、苦し紛れに答えるしかできない自分は全然成長できていないのかもしれない。
 幹斗は小さく頭を振ってもう一度ため息をついた。
 塩山病院には十分ほどで着いた。車を手前の駐車場に停め、夜間入口を探す。
 入口では先程したという連絡を受けたからか、スムーズに院内に入ることができ、そのまま居場所を教えてもらった。二階に上がり病室の付近の廊下まで来たとき、いきなり現実と向き合わされ心臓がバクバクと音を立てて鼓動し始めた。全身に熱が生まれ、脇から冷たい汗がすっと流れ落ちる。
 帰りたい。帰れなくても今すぐこの場から逃げたい。
 頭の中はこの言葉で支配されていた。寒くもないのに僅かに震える幹斗の腕を掴んだ幸恵が顔をこちらに向けて話し始める。
 「大丈夫?・・・まず私が病室に入って話をしてくるから。お義母さんのこともあるしね。あなたはそこにいて」
 頼むから俺を一人にしないでくれ
 しかし、返事すらできない程にすでに口の中は乾いていた。
 幸恵は掴んでいた手を上に伸ばし、優しく幹斗の頬を一度だけ撫でると踵を返してそのままドアまで近づいてノックをした。懐かしい声が遠くの方で聞こえると、彼女はゆっくりとドアを開け、中へと入っていった。
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by komei115 | 2012-03-05 22:55