青い果実の実る頃には

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2012年 03月 07日 ( 1 )


 再びドアが開くまでの数分、たかがその数分がとてつもなく長い。時間が止まるというよりも、自分が時間についていけてない感じがした。
 早く開いて欲しいのか、永遠に開かないで欲しいのかわからなかった。
 何かが終わるのか。それとも始まるのか。どうしても知りたい、どうでもよいこと。
 ただ、今まで築き上げてきた世界が、塞き止めていたものが崩壊し、津波のように押し寄せる時間のそのあまりの勢いに呑まれ、溺れそうになっていた。強く漂うアルコールの匂いに神経が麻痺し、消灯した薄暗い廊下に永遠と伸びる闇が身体を撫でるように包んでいく。
 鼓動が加速していく。
 肺に息が徐々に詰まっていく。
 すると、徐にドアが開かれた。光が差し込み、煙のように立ちこめていた闇が少しだけ晴れる。幸恵のシルエットがドアを片手で止めたまま小さな声で「幹斗さん」と呼んだ。
 久し振りに呼ばれたその呼び名は他人のものだと思った。そして呼んでいる人も知らない女性。頭では自分の知らない物語が進んでいるのに、身体は化学反応を起こしたかのように勝手に動きだし近づいて行く。
幸恵に招き入れられた光の先、立ち竦む初老の女の姿が視界に入った。姿かたちは変われど、それはまさしく母であった晶子の姿だった。
 15年振りの再会。15年前まで母さんと呼んでいたその女性は、幹斗の姿を見てしばらく放心したように動かなかった。それから「幹斗」とだけ小さな声で呟き、両手で顔の下半分を覆うと、小さな嗚咽を漏らして泣き始めた。大粒の涙を幾度となく流した目は震え、擦れていようと、その奥にある瞳は幹斗を捉え続けている。
 どうすればよいかわからず、戸惑いながら左を見ると、幸恵も幹斗を見つめていた。
 そばに行ってあげて
 そう優しく語りかける目は、頬笑んだ拍子に両の端から一縷の涙が流れ、頬に線を作っていった。そして顎でぶつかると、一粒の雫となってゆっくりと滴り落ちた。
 自分でない自分が察した通りに晶子に近寄っていく。だけどそこから先は何もできなかった。抱きしめることも、体に触れることもできなかった。
 晶子は、そばに来てただ茫然と立ち尽くしている息子を抱きしめたくも叶わないのか、幹斗の力なく垂れさがった右腕を両手で少しだけ、それでも精一杯に触るとそのまま泣き崩れた。幸恵がゆっくりと近づき、晶子の背中を擦ってあげる。
 母が泣くだけ、その分居心地の悪さを感じた。
 一段と小さくなった母。一段と白髪としわが目立つようになった母。まだ閉められていない遮光カーテンから覗く窓に少しだけ映る自分。長い歳月による明らかな老いを見せつけられた。身体は時間に順応しているのだが、自分の心だけがどこかに置き去られ、いつまでも忘れ去られたまま。そんな気がした。
 視線を下げると、半分ほど仕切られた部屋の真っ白のカーテンから真っ白いベッド、真っ白いシーツが覗いている。膨らんでおり、父らしき人が寝ているのが見える。胸から先はカーテンにかかっていて見えなかった。
 晶子は泣き止むと、鼻を啜りながら
「まだ清太郎さんは、目が覚めてないの。あなた・・・幹斗が来たわよ。勝沼に・・・帰ってきたのよ」
 カーテンを開けて話しかけ、そして自分も確かめるように放たれた言葉は震え、潤んでいた。思い出したようにまた、静かに泣き始める。
 しかし、清太郎は呼びかけても反応はしない。ただ、規則正しく呼吸だけを繰り返し上下にシーツを動かし続けている。
 母の言葉にえらく他人行儀な耳触りがした。前は母も父のことを「お父さん」と呼んでいた。すっかり二人暮らしが染み付き、呼び方まで変えてしまう歳月を思った。
 幹斗の目は父の存在を認識していても、その目の前に横たわる父の顔はどうしても見ることができなかった。両の瞳は、行き場所を失いオロオロと袋小路を彷徨う二匹の子ネズミのように虚ろに揺れ動いていた。
 目のやり場に困っていると、ベッドの傍らにあるサイドテーブルに写真が立てられていることに気がついた。
 それは遺影だった。写真の中に映る実秋だけがあの頃と変わらない得意げな顔で笑っている。
 全ては嘘。この世の全てが偽りだ。唯一、写真の中の実秋だけが事実で、本物のような気がした。
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by komei115 | 2012-03-07 23:00