青い果実の実る頃には

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2012年 03月 09日 ( 1 )


 「今日は来てくれてありがとう。 もう遅いし、今晩は家に泊まってちょうだい。私はここに泊まるから二人に家に居てもらえると私も助かるわ」
 「有難うございます。そうさせていただきますね」
 晶子はポーチから鍵を取り出すと幸恵に手渡した。
 「じゃあ私たちは一旦失礼させていただきます。もし、何かあったらいつでも連絡ください。それでは、おやすみなさい」
 幸恵がドアを開けると幹斗は無言で歩きだし、背を向けたまま一度だけ微かに頭を下げて先に廊下に出た。後ろでは彼女が母と何やら話をして頭を下げている。そしてドアを閉めたとき、また闇とアルコールの匂いが戻ってきた。しかし、緊張はもう治まっていた。汗は引き、真っ白だった意識が徐々に回復していく。宿直夜勤の看護師と警備員にお礼を言って病院を後にした。
 車に乗り込む際、運転を代わって八王子の自宅に帰るという案が一瞬浮かんで、そしてすぐに消えた。目眩がする程ぐったりと疲れ、とても運転ができるような状態ではなかった。諦めて助手席の革のシートに凭れるとそのまま溶けるように身を沈めた。腹の音が弱々しく鳴る。こんな状態でも腹は減るのかと思った。そういえば、居酒屋でお通しを食べただけでそれ以外は昼から何も口にしていない。そのことを思い出すと、答えるようにもう一度腹が鳴った。
 「家の場所・・・知っているのか?」
 「ええ」
 そう言いながら幸恵はエンジンをかけ、起動したカーナビの履歴を開くと実家の場所が印されていた。
 車内ではしばらく何も話さなかった。幸恵は全く話し掛けてこない。
 怒っているのだろうか。悲しんでいるのだろうか。戸惑っているのだろうか。真剣な顔で運転する横顔からは何も読み取れない。
 幹斗は、ふと思い出して携帯を手に取った。そして一度だけ電話を掛けたがドライブモードはまだ解除されていなかった。電話に出ない雅也の番号をじっと見つめる。
 「雅也さんにはお義母さんから連絡を受けた後にすぐ私から連絡しておいたわ。一番早く着くからってそのまま車に乗って大阪からこっちに向かってくれてるの。5時間くらいで着くそうよ。さっき勝沼の家の方に来てもらうようにメールを送っておいたから安心して」
 妻としての感が恐ろしく鋭いのか、それとも夫としての行動パターンが単純なのか、よくわからなかった。ただ、何となく自分の存在全てが滑稽で馬鹿らしく思えた。自然と笑いが込み上がると、行き場所を失った空気が小さく鼻から洩れ、同時に自分を冷笑した。
 濃さを増した暗闇の中、二本のライトで織りなした光が見せる一瞬の光景が、またたく間に後ろに消えていく。突然フロントガラスに、水滴が付着し始める。どうやら雨が降り始めたようだ。どんどん数を増していく水滴は集まり、四方に線を作りながらゆっくり伸びていく。そこへ飛び出したワイパーが水滴を集めて一瞬で外に掻きだした。横を向くと、窓には切り傷のような水の線が無数に付いていく。見ていると、パックリと割れた傷口が痛そうで自身の身体にミミズが這ったようにむずむずしてくる。幹斗はたまらず視線のピントを窓から空へと向けた。星は見えず、真っ黒な死灰の塊のような雲が確認できる。
 明け方近くまで雨は止みそうにないと直感した。
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by komei115 | 2012-03-09 21:54